仏教原理主義は過激思想?


心が強い人が持つ「他人に反応しない」技術 (8月12日 東洋経済オンライン)
もう、ムダに反応するのはやめなさい
golden buddha statue
悩みを生む「ムダな反応」していませんか
ブッダの考え方の特色は、「肯定」も「否定」もしないこと。「なるべく良し悪しを判断しない」という発想に立ちます。
というのも、いいとか悪いとか、勝ち負けや優劣を作り出すのは、人間の「判断」だからです。判断によって
優越感をもつこともあれば、コンプレックスに悩むこともあります。「判断こそが悩みを生んでいる」と理解して、
「ならば、ムダな判断はしない」という「考え方」に立つのです。もうひとつの特色は、「何をめざすかは人それぞれ、
目的は個人が選んでいい」というオープンな立場に立つことです。「承認欲」だって否定する必要はありません。
仕事・勉強で認められることをめざすのもよし。「認められることに大して意味はない」と割り切って、
自分の道を進むもよし――この発想の自由さが、目覚めた人ブッダの特色です。
大切なのは、「悩み」が出てきたときなのです。(中略)
悩み・空しさから脱出しようと思えば、「もう、ムダな反応をしない!」と決心するしかありません。
どうやって? その方法を一部紹介しましょう。
ひとつは「心の状態を理解する」という心がけ――“瞑想タイム”のススメです。
まずは、デスクの前でも、電車の中でも、目を閉じて「心を見つめる」時間を作ります。そして、「怒り」を
感じているときは、胸のあたりを見つめて「怒りが湧いている、怒りがある」と、冷静に理解するようにします。
仕事で大きなミスをしてしまって、かなり動揺したときには、「動揺しているな、落ち込んでいるな」とありのままに
理解します。大事なのは、このとき「腹を立ててはいけない」とか「動揺してはいけない」と「否定」しないことです。
そのために、アタマの中で「怒りがある」「動揺している」と客観的に“言葉で”確かめるとよいでしょう。
こうして、「心の反応を理解する」にとどめて「それ以上に反応しない」ように心がけるのです。
最初は難しく感じるかもしれませんが、だんだんできるようになります。
もうひとつの方法は、「カラダの感覚を意識する」という方法です。たとえば、
・出勤途中の「歩いている足の裏の感覚」を意識します。右足、左足、右足……と歩きながら、足の裏を感じ取ります
・仕事の合間に目をつむって深呼吸をして「お腹のふくらみ・縮み」を意識します
(初めての人は手のひらをお腹に当てて「ふくらんでいる、縮んでいる」と意識するとよいでしょう)

 悩みは「消す」ことができる。そしてそれには「方法」がある
 --ブッダの「超合理的で、超シンプル」な教えを日常生活に活かすには?
 注目の“独立派”出家僧が原始仏教からひもとく“役に立つ仏教”。
【目次】
 第1章 反応する前に「まず、理解する」
 第2章 良し悪しを「判断」しない/
 第3章 マイナスの感情で「損しない」
 第4章 他人の目から「自由になる」/
 第5章 「正しく」競争する
 最終章 考える「基準」を持つ

イスラム原理主義というと過激派というイメージがつきまといますが、そうでない
人もいます。キリスト教にも原理主義者はいます、というより、もともと原理主義者
といえばキリスト教原理主義者のことです。どちらも共通しているのが、いい意味
では用いられていないことです。仏教の場合、原理主義者と呼ばれる人がいるのか
どうか知りませんが、イスラム教原理主義者・キリスト教原理主義者のような極端な
思想を持つ可能性はないのではないでしょうか?なぜなら、ブッダは、人によって
様々な話をしているので、「厳密にそれを守る」ことが難しいからです。
これこそ、本当の教えではないでしょうか?科学だって、つき詰めると何が真実
なのかよく分かりません。どうしても、「真実は何か」というならば、
「変わり続けることだけが変わらない真実だ」ということになってしまいそうです。
とはいえ、
「所詮、この世は苦しみの世界」
「究極の目標は、この苦しみの世界からの永遠の脱出」
こそが、仏教のエッセンスなのではないでしょうか???
こうしてみると、仏教原理主義的教義は意外に過激なのかもしれません!!!


第4回 原始仏教の様相 (仏教へのいざない 東京大学仏教青年会)
仏教の広がり 苦行を止めたブッダは菩提樹の下で瞑想に入り、悟りを開いた。
 その直後に通りかかり、食べ物を布施したいと申し出た二人の商人が、
 仏教史上最初の在家信者とされる。そして、初説法(初転法輪)の際に、
 それを聞いて悟った五人の比丘が、仏教史上最初の出家修行者とされる。
 その後も、ブッダとその弟子たちの布教により信者数は増大し、徐々に
 組織化が進んで、サンガ(僧伽)と呼ばれる仏教僧団が成立した。
 出家修行者には、二百五十戒を受けた比丘(男性出家修行者)と
 三百四十八戒を受けた比丘尼(女性出家修行者)があり、別々の僧団を
 運営していたが、比丘尼僧団は常に比丘僧団の指導下に置かれていた。
 また、比丘のもとには沙弥、比丘尼のもとには沙弥尼、およびその
 一変形である式叉摩那という見習いがいた。一般に出家者といった場合
 には、この五種類のうちのいずれかを指す。一方、在家信者は男性が
 優婆塞、女性が優婆夷と呼ばれていた。彼らは仏・法・僧の三宝に帰依
 することによって在家信者として認められ、普通はその直後に五戒の受持
 を誓った。そして、出家修行者は説法を通じて在家信者を教え導き、
 在家信者は経済的な面で出家修行者をサポートするなどといったように、
 両者の間には相互依存の関係が成立していた。

原始仏教僧団は、ブッダの入滅後およそ百年にわたって統一を保っていたが、組織の拡大や時代の変遷に伴って、様々な
点で意見が分かれるようになった。なかでも、教団の規則をめぐって保守派の上座部と進歩派の大衆部の間に生じた対立
は非常に大きく、原始仏教僧団は大きく二つに分裂してしまった(根本分裂)。その後も、地域差や教義の差によって、
さらなる分裂(枝末分裂)を繰り返してゆき、二百年から三百年の間に、最終的には約二〇の部派に分かれた。
そして、各部派が様々な解釈を行い、相互に自らの正統性を主張する部派仏教の時代に入っていった。
相手に応じて教えを説く
原始仏教の根幹をなす重要な教えとしては、ブッダが菩提樹の下で悟ったとされる縁起の教えと、初説法で説いたとされる
四諦・八正道の教えを挙げることができる。縁起の教えは、人間の根本的な無知(無明)から老いや死という苦しみ(老死)
へと至る一二段階のプロセスを因果関係でもって明らかにした理論である。一方、四諦の教えは、1人生は苦しみに
満ちているという真理(苦諦)、2苦しみには原因があり、それは欲望であるという真理(集諦)、3苦しみの原因を取り
除けば、涅槃に到達するという真理(滅諦)、4涅槃に到達するための実践方法があるという真理(道諦)という四つから
成る。そのうちの道諦が、正しい見解(正見)、正しい考え方(正思)などの八つの正しい道から構成されており、八正道
と呼ばれている。以上のほかにも、応病与薬(病に応じて薬を与える)という言葉もあるように、原始仏典のなかの
ブッダは相手に応じて、時に優しく、時に厳しく、様々な教えを説いたため、原始仏教の教えは非常に多彩である。



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龍女「みなみ」からあなたへの
不思議なメッセージ集
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不思議の国の「みなみ」
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「みなみ」 今月のメッセージ

神津島の天上山は、
神が集う島のなかでも、
特に神の集まるところ。

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舞尾 空

Author:舞尾 空
・性別:男
・年齢:46歳
・職業:サラリーマン
・血液型:O型

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