同聚院 内容概要 (京都観光Navi:同聚院) 
臨済宗東福寺派に属し、東福寺塔頭(たっちゅう)の一つである。 東福寺の寺地一帯は、
平安時代中期・延長2年(924)頃に藤原忠平が法性寺(ほっしょうじ)を建立した所で、寛弘3年
(1006)には藤原道長が40才の賀にあたって五大明王を安置する五大堂を境内に造営した。
法性寺はその後も藤原氏が造営に力を入れたが、鎌倉時代初期には衰微し、
その故地に九條道家が東福寺を建立したのである。本寺は藤原道長が建立した五大堂の遺跡で、
五大明王のち中尊不動明王坐像が幾多の災害をこえて本寺にまつられている。
像は仏師定朝の父・康尚の作品で、像高265センチの巨大なもの。
忿怒(ふんぬ)相の中にも優美さをたたえた藤原美術の代表彫刻の一である(重要文化財)。
世に「じゅうまん不動(じゅうまんふどう)」と称され毎年2月2日「じゅうまん」の字を書いた屋守護が
施与される。「じゅうまん」は「土力」(土地の守護)又は「十万」(十万の眷属(けんぞく)を従える)
の2字を一字にした文字といわれ、火災除けをはじめ除災の霊験あらたかな不動として信仰が深い。
東山区本町15丁目(東福寺内)

京都紅葉
左から、醍醐寺、東福寺、大覚寺

京都に紅葉を見に来られるかたは大勢いますが、醍醐寺、東福寺、大覚寺のすべてに行く人は
あまり多くないでしょう。場所がバラバラですし、この3つの寺に行く必要性もありません。
しかし、この3つの寺には意外な共通点があるのです。

古来、日本の陰陽道では、北東の方向を「鬼門」と称して万事に忌むべき方角としていますが、
もともとの陰陽論としては、必ずしも忌むべき方角ではありません。
それより重要な方向は、天門と称される乾(いぬい)の方角です。つまり北西です。
(なぜ、乾が北西なのかはここでは考えないことにします)
乾も、怨霊、災いが出入りする方角であるとして、忌むべき方角とされていますが、
この天門を鎮めることが、個人、組織、都市や国家にとっても繁栄にかかわる重大事なのです。
京都という都市で考えてみますと、天門に当たる方向にあるのは隠岐です。
「清き水も淀めば腐る」と言われるように、流れをせき止めないことが重要であり、
隠岐からの「気」の流れを京都に留まらせないためには、流れの受け手が必要です。
そこで、「気」の流れをよくするために造られたのが、伊勢神宮なのではないでしょうか?
伊勢神宮は京都の気の流れを促進しているのです。
よって、現在の地図を見ると、隠岐と伊勢神宮を結ぶライン上に京都があることになります。
伊勢神宮を創建するときには、陰陽師的な人が場所を定めたのではないかと思われますが、
陰陽師には、隠岐から流れる気のラインが明確に見えていたと推察されます。
それを知ったうえで伊勢神宮を建てたとすれば、伊勢神宮の上に隠岐から流れる「気」のライン
があると考えられますが、「気」の発信源である隠岐は広いので、そのラインがどこにあるのかを
明確にすることができません。隠岐は島全体が「気」で満ちているので発信源が特定できません。

そこでこのラインを確定させるために、京都府亀岡市にある天照皇大神社に着目しました。
この神社が隠岐と伊勢神宮を結ぶライン上につくられたという証拠はないのですが、
これを仮説として検討してみます。天照皇大神社の北西にある、京都府南丹市の護国寺も
このライン上にあります。南東の端は、伊勢神宮の内宮(遷宮するので、その中間にセット)
にします。現在では、正確に2点間の最短ラインを決定することができます。
隠岐から伊勢までくらいでしたら、地図上の直線も、実際の直線(最短コース)と
それほど違わないのですが、敷地のどこをこのラインが通っているのかを確認するためには、
最短コースをラインとして表記する必要があり、大圏航路がほぼそのラインに一致します。
そして、この隠岐-伊勢神宮ラインを正確に調べてみますと、
ラインの真上にあるのが醍醐寺、東福寺、大覚寺です。
下の図を見ていただければ分かりますが、 隠岐-伊勢神宮ライン上のそばに、
醍醐寺、東福寺、大覚寺があるというのではありません。敷地のど真ん中にラインが走っています。
大覚寺は、空海が五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったのが起源とされています。
また、醍醐寺は空海の孫弟子にあたる聖宝が開山したことがはじまりで、五大明王が安置されている
ことで知られています。五大明王についてはここでは詳しく触れませんが、密教に関係したもの
であり、大覚寺、醍醐寺は真言宗のお寺ですから、真言密教に関係したものであると考えられます。
密教は秘密の教えですから、その内容は明らかではありません。
しかし、五大明王の由来には、「五行」がなんらかの形で関係しているのではないでしょうか?
これに対して、東福寺は禅のお寺であり、五大明王とは無縁であるように思われますが、
上の引用にありますように、ここには東福寺が建てられる以前に法性寺というお寺があって、
ここに五大明王が安置されていたのです。
京都で五大明王と言えば東寺が有名ですが、後は、大覚寺、醍醐寺ぐらいで、
五大明王が安置されているお寺は非常に珍しい寺なのです。
上の引用で紹介しました、東福寺塔頭である同聚院には五大堂があるのですが、
不動明王以外は失われているので、祀られているのは不動明王だけです。
昔は、ここで示した隠岐-伊勢神宮ラインを確認することはできなかったのに、
このように五大明王のある寺がこのライン上にぴったりのっかっているのです。
これは、このラインを感じる人がいたからではないでしょうか?
そしてその人は、陰陽五行に詳しかったと思われます。

ちなみに、この隠岐-伊勢神宮ライン上には京都駅があります。
しかも、新幹線のホームにいたっては、ど真ん中を通っています。これは、たまたまなのでしょうか?

伊勢隠岐ライン

大覚東福醍醐寺
隠岐-伊勢神宮ラインの表示には「Googleマップで大圏航路を表示する」を使用しています。
図中のピンク色のラインが大圏航路です(地図の出典はgoole)


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2014_11_30


素〝粒子〟という虚構 素粒子の実態が語られないわけ
~素粒子論はなぜわかりにくいのか 吉田伸夫著~
科学はいつも順調に発展しているわけではない。打開策が見つけられないまま、
いろいろな仮説を試すトライアル・アンド・エラーの時期が長く続いたり、
誤った仮説の袋小路に入り込んで、学界全体が停滞したりすることもある。
場の量子論も、1929年に最初の枠組みが作られた時点ですぐに受け容れられたわけではない。
以上にわたる紆余曲折の末、ようやく定説としての地位を確立したという経緯がある。
場の量子論が受け容れられなかった大きな理由は、この理論を使ってどのような物理現象が起きるか
を調べようとしても、計算の途中で積分が無限大になってしまい、答えが得られなかったためである。
積分が無限大になるのは、きわめて狭い範囲で瞬間的にエネルギーをやりとりする相互作用が
存在するからである。積分が無限大になるのは、きわめて狭い範囲で瞬間的にエネルギーを
やりとりする相互作用が存在するからである。空間と一体化した場は、電磁場・電子場・クォーク場・
グルーオン場・ヒッグス場など何種類もあり、多数の場が同じ地点に重なって存在して相互に影響を
及ぼしあう。こうした複数の場が狭い範囲で瞬間的に行う相互作用の効果を計算しようとしても、
有限な値が得られないのである。この計算不能という問題は、1940年代の繰り込み理論、
1960年代のゲージ対称性とその破れの理論によって克服されるが、そこに至るまでの間、
場の量子論を使ったのではまともな計算ができなかった。このため、場の量子論は使い物にならない
ダメ理論だと見なす物理学者も少なくなかった。
場の量子論によって何らかの計算ができるのは、場同士の入り組んだ相互作用を無視したときである。
ところが、場の相互作用を無視すると、素粒子が粒子ではなく場の振動状態だという特徴は、
ほとんど表に現れない。その結果、現実に場の量子論が応用される範囲では、
素粒子は粒子として扱うことができ、場の概念は必要とされないという皮肉な状況が生じた。

素粒子論はなぜわかりにくいのか (知の扉)素粒子論はなぜわかりにくいのか (知の扉)
(2013/12/05)
吉田 伸夫

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研究ではよくあることですが、何かひとつの要因についてどれだけ詳細な議論をしても、
他の要因の影響を無視できない場合、現実と全く乖離してしまうことは珍しくありません。
異なる構成要因に関する多数の相互作用が存在する系については、細分化された学問体系では
カバーできません。人間や社会が関係する分野では特にそうなのではないかと思います。
特定分野については専門家に聞けば教えてくれますので、聞いたり調べたりすることが可能
ですが、その分野を越えることについては無視してしまうことになります。
わたしたちが本当に磨かなければならない能力は、
要素と要素の「つなぎ」を知るということにありますが、
それを教えてくれる人は非常に少ないように思います。「つなぎ」を理解すれば、そのうえで、
特に焦点を当てるべきであると判断される部分について、詳細に検討すればよいのです。
厳密な論証が可能である物理学においてでさえ、場同士の入り組んだ相互作用を考慮することは
容易ではないようです。もし、どんなに入り組んだ要因でも、解きほぐして検討することができるの
でしたら、生物についても物理的に説明できるはずです。
要因が複雑に絡み合った領域における相互作用を
知ることは、今後の大きな課題になるでしょう。

  <図の出典>ウィキペディア "gluon"
    ↓             さて、素粒子においても、「つなぎ」は重要です。
グルーオンの生成ですので、グルーオンの実態解明の研究は盛んです。
(ちょっと話の変えかたが強引だったでしょうか)。
物理学的には、素粒子をわたしたちが考えるような
「粒」と考えるといろいろな不都合を起こすようですが、
陰陽論では、何もないところから「陰陽」が生まれたり、
「陰」と「陽」が衝突して消滅したりしてもOKですので、
素粒子の生成・消滅については不思議ではありません。
ただ、クォーク、電子、ニュートリノなどフェルミ粒子と言われる素粒子とは異なり、ゲージ粒子と
言われる光子、ウィークボソン、ヒッグス粒子については、単に「四象五行」の形で説明するには
ちょっと無理があります。ここで説明するグルーオンもその仲間です。陰陽五行的に考えた場合、
これらの粒子について共通しているのは、2層構造をしているということです。
光子では波動の部分と、粒子の部分。ウィークボソン、ヒッグス粒子については内側と外側、
そして、このグルーオンについては上と下の層で構成されています。
2つの部分が別々に回転することが可能で、スピンが1/2である粒子が2つ重なりあって、
スピンが-1、0、1になっていると考えることができます。
下の図に、考えられるグルーオンの形を示してみました(まだパターンがある)。
「地」の部分は、光子と同様で、陰と陽が高速に変換していると考えてください。
つまり、「地」の部分は時間平均的には0とみなすことが可能で、「地」を無視して考えれば、
ひとつの層については、四象の破片のうち2つの破片がくっついた形をしています。
この2つの破片には、「地」の向かい側と「地」の隣側の2つの場所があり、
それぞれは区別して考える必要があります。二層の上下については、反転可能です。
二層を合わせると4つの破片でできていますが、ひとつの層は2つの破片でできているので、
真空における抵抗はない(つまり質量は0)とみなすことができます(グルーオンの質量はない)。
ひとつの層には電荷がありますが、二層を合計すると電荷は0です(グルーオンの電荷はない)。
質量が0、電荷が0ですから、エネルギー状態によってどこにでもグルーオンが生まれます。
「地」の振動がある環境はグルーオン場になります。
まだ考えなければならないことがたくさんありますが、それについては次回以降、折に触れて・・・


グルーオンの例


2014_11_28


外宮の謎 外宮の創建 ~伊勢神宮の謎 稲田智宏著~
伊勢神宮を参拝するときは、まずはじめに外宮を詣で、次に内宮を詣でるしきたりになっている。
神宮といえば天照大神とその大神が祀られる内宮ばかりを意識し、外宮に参らない人も多いようだが、
わずか五キロほどしか離れてなくバスも巡回しているので、なるべく古来の考えに則して外宮内宮の順
でお参りしてもらいたいものだ。そして参拝すると、どうしてもひとつの疑問が湧いてくる。
なぜ内宮と外宮という大規模なふたつのお宮があって、そのふたつを神宮として崇めているのか。
内宮が尊ばれているのはわかる。皇室の祖先神で最高至貴の神とされる天照大神を、
三種の神器の八咫鏡を御神体として古くから祀っているからだ。
では外宮はどのような神がどのような由来で祀られているのだろう。
真偽はともかく、内宮の創建は『日本書記』に垂仁天皇の時代のことと伝えられる。
『古事記』にも、創建については記述はないとはいえ、倭姫命をはじめとする斎宮が奉仕していた
ことは語られている。ところが外宮に関しては、記紀に明確な記述はない。(中略)
ただ、豊受大神を伊勢に祀る理由は語られているとはいえ、ほとんど何も語っていないに等しい。
二柱の相殿神が内宮鎮座の当初から祀られていたのかどうかは不明としても、食事の神を
呼び寄せる理由としてはなんとも不可解で、まあ神がそのように要求したのならそうなのだろうと
理解するしかない。(中略)そして前の託宣に続き、天照大神は次のようにも託宣している。
「祭祀を行うときは、豊受神宮を先にして、その後で私の宮に仕えなさい」。
つまり神宮における祭は内宮よりも外宮を先に行うように、と天照大神が指示したということで、
現在でも恒例の祭祀は外宮が先に行われている。これを外宮先祭といい、
外宮から先に参拝するというしきたりもこのことに由来しており、また外宮が地元の神ゆえに
外来の内宮に先んじて祭祀がなされるのだとも指摘されている。(中略)
内宮と外宮はその名称ばかりでなく、対義的に造形されているところもあって、内宮の参道は
左回りで外宮は右回りに進む。正殿の屋根の両端に交差して突き出ている千木は、
内宮ではその先端が水平に切られ(内削ぎ)、外宮では垂直に切られている(外削ぎ)。
また内宮では扉は内開きで、外宮では外開きとなっている。
さらに内宮の参道は右側を歩いて外宮では左側を歩く決まりだが、これは内宮では五十鈴川の
御手洗場が右側に位置していることにもよっている。

伊勢神宮の謎伊勢神宮の謎
(2013/06/25)
稲田 智宏

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伊勢神宮に参拝したことのある人のなかでも、内宮にしか行ったことがない人が結構多いのでは
ないかと思われますが、本来は、外宮に参ってから、内宮に行くのが正しい参拝法のようです。
バスツアーなどで直接、内宮に行かれる場合は外宮に立ち寄るのは簡単ではありませんが、
電車の場合、伊勢市駅(JRと近鉄共用)で降りれば、歩いて外宮に行くことができます。
外宮参拝後、外宮を出たところにある停留所からバスに乗れば、内宮に行くことができます。
伊勢神宮が不思議なのは、内宮と外宮をあわせてひとつの神社としているところです。
内宮と外宮は5キロ離れていますので、同じ神社という感じはしません。
本宮と奥宮ということでしたら理解もできますが、それでしたら外宮のほうが本宮になり、
内宮・外宮ともに同じ神様を祀るべきでしょう。外宮が単なる食事の神様ということなら、
外宮を内宮の別宮にすればいいようにも思うのですが、そうでもないようです。

内宮、外宮と言うのはなぜなのでしょうか?ここでは外宮について、陰陽五行的に考えてみます。
伊勢市駅から歩きますと表参道のほうを通って正宮に行くことになりますが、外宮の別宮である
月夜見宮のほうから歩きますと、北御門口側にある火除橋を通り、忌火屋殿の前を通って、
正宮へ向かいます。「忌火(いみび)」とは、「清浄な火」ということで、御火鑽具(みひきりぐ)を用いて
清浄な火をきり出し、この火を使ってお供えものを調理します。その横に正宮があって、
豊受大神が食事の世話をする神であり、食事の支度には火が欠かせないことから、
正宮(北側)は「火」と考えるべきでしょう。外宮の境内にある別宮は、多賀宮、風宮、土宮です。
そのなかで、多賀宮は第一の別宮であり、豊受大神の荒御魂(あらみたま)を祀っています。
荒御魂とは、神様の荒々しい面を示しており、天災や病疫など神の祟りとして恐れられるような意味合い
を持っています。ただ、新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂ともされます。
一方、その逆が和御魂(にぎみたま)であり、恵みをもたらしてくれたり、人々を助けてくれたりという、
神のご加護的な側面を意味しています。多賀宮が豊受大神の荒御魂なのですから、
正宮は豊受大神の和御魂を祀っているということでしょう。ですから、正宮と多賀宮は陰陽の関係
にあると考えれば、正宮の「火」に対して、多賀宮は「水」ということになります。
多賀宮は外宮の神社のなかで最も南側にありますが、南側には下御井神社もあります。
下御井神社は上御井神社に何かがあったときに水を汲んで正宮にお供えする神社です。
この点から考えても、下御井神社も含めて、多賀宮のある南側は「水」を意味していると考えられます。
荒御魂が「水」に属していることは、日本にとって宿命的なことなのかもしれません。
津波、洪水(による土石流)など水の力は、人間の力を越えています。実際のところ、
日本では「火」(噴火)も恐怖であり、「地」(地震)も、「風」(突風)も恐怖なのですが・・・
東側にあるのが、風宮です。祭神は風をつかさどる神である、級長津彦命、級長戸辺命です。
農業に関係の深い、風と雨の順調を祈る宮です。つまり、東側は、「風」です。
風宮の向かい、つまり西側にあるのが土宮であることから、西側は「土」ということになります。
この他、外宮には四至神(みやのめぐりのかみ)という神様がいて(内宮にもいます)、外宮の四隅、
東西南北を守っているとされています。四至神は宮廻り神で外宮の神域の周囲を守る神なのですが、
本来の意味は誰にも分からなくなっているものと思われます。
どうして、東西南北を守る必要があるのでしょうか?これは、陰陽五行的には重要な意味があり、
「四象」の形状を創りだしている神様なのではないでしょうか?
ですから、四至神はパワースポットなんかではありません
(逆に、さらに煽っている感じもしないでもありませんが・・・)。

さて、この結果、どうなるかと言いますと、外宮が意味しているものは、
下の図(右)に示したような四象(五行)の配置になります。
これは「火土風水」(-4)であり、記事34-2にある「火金木水」(+4)で示される
アップクォークの反粒子になっていますので、反アップクォークです。
つまり、外宮には反アップクォークが隠されています。
なぜ、外宮のなかに反アップクォークが創りだされているのか?
対生成で、世のなかにアップクォークを供給しているとでも言いたいのでしょうか?
なんだか、より謎が深まったような感じがしてきました。そんなちょっと考えたくらいで、
伊勢神宮の秘密が解き明かされるなんてことはありません(言い訳)。


外宮の秘密
  ↑(イラストマップの一部)
<図の出典> 伊勢神宮 > 神宮の歩き方 > 豊受大神宮(外宮)イラストマップ


2014_11_26


解説 易の成立 ~易経(上) 高田真治・後藤基巳訳~
原始民族が呪術を以って神意を測度(そくたく)したことは、各国の原始民族に通有した現象
であるといってよい。ことに東北アジアを中心として行われたシャーマン的呪術は、ひとりアジアで
行われたのみならず世界各地に同型のものを見出し得るのであるが、これが古代において
巫または巫覡(ふげき)として行われたことは、現存の文献によって明知せられるところである。
この巫の原始的状態がシャーマニズムに属するものであったと思う。卜占も呪術の種類に属して考え
られるべきものである。このシャーマン的呪術と易との関係に易の成立を暗示するものがありはせぬか。
白鳥清氏の説に拠ると、左伝や史記等に記されている豢竜(けんりょう)氏とか御竜氏とかまたは
畜竜(ちくりょう)氏などというものは、雨神竜を御する巫祝、天の精霊を御する雨師、天意を民衆に
伝達通告し天の霊声を聞知し得るシャーマンであると考えられている。
同氏はまた竜の本体を推究して、竜はそのはじめは天上天空に棲息して雨をつかさどる想像された
精霊すなわち雨神が、時代を経過するに従って雨乞い儀式に使用された動物を模写し、ついに後世
絵画彫刻に見るような竜態が構成されたのであって、豢竜氏・御竜氏・畜竜氏などという巫祝は、
単に天空の雨神竜を左右するシャーマンの意味でつけられた名称であるのみでなく、他方において
雨神竜と相通ずる能力を持つと信ぜられた爬虫類(カッコ内省略)を実際に畜養していた巫祝である
としている。この説は易の成立にすこぶる興味のある示唆を与えるものである。
司馬貞補史記三皇本紀には、伏羲(易の創始者)のことを記して「蛇身人首にして聖徳あり」、
「竜瑞有り、号して竜師と曰(い)う」といっている。「蛇身」といい「竜瑞」といい「竜師」という
のは、明らかに雨竜神と関係があることを思わせるものであって、これらの一見荒唐無稽のように見える
伝説の中にもなにものかの確実な伝統が流れ来ていることを思わせるものがあるのである。
さきの文によると伏羲は太古における雨神竜を御するシャーマンであったことが想像されるであろう。
(記事35-3に本の紹介をしている)

シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズムシャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム
(2001/08)
アーノルド ミンデル

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シャーマンとは、神仏・精霊などの超自然的存在と直接接触・交流・交信する人のことであり、
古代日本ではシャーマンとしての巫女の存在が知られています。最も有名な人は「卑弥呼」でしょう。
今でいう霊能者のようなものでしょうが、現在では、霊能者=ペテン師と思ってほぼ間違いないでしょう。
もし本物のシャーマンがいたとしたら、人間と神様の間に、無限ともいえる階層を感じるでしょう。
わたしたちの悲しいところは、わたしたちが何を知らないかを知っていないことであり、
知らないものは存在しないものとして考えてしまいます。しかし、個人的意見を言わせてもらうと、
知らないものは「無限に存在する」と仮定したほうが、
真実に近づけるように感じます(真実に到達することは永遠にできないのでしょうが)。
そのように考えれば、人間と神様の間にある無限の階層を感じることができるかもしれません。
霊能者のなかには何らかの存在とコミュニケーションがとれる人がいるのではないかと
思われますが、そのほとんどが、神様と遠ざかる方向にアクセスしているものと思われます。
一言でいうと、気が狂っているか、自分の欲望を何かに投影しているのです。
天国と地獄が本当にあると思ってください。「あなたは天国に行きたいですか?」と聞かれれば
「天国に行きたい」とほとんどの人が答えるでしょう。
龍女である、不思議の国の「みなみ」ちゃんがこれに答えてくれるとするならば・・・

「ほとんどの人にとって、地獄に行ったほうが絶対いいと思うわ。
天国は楽しくないでしょう。天国には欲望を満たすものが何もないのよ。
欲求不満になって天国を抜け出すでしょう。地獄にはあなたがたの欲望に
合った様々な領域があるので、自分に合ったところを選べるわ。」

・・・なんてね。
もしそうなら、はじめから地獄に行ったほうが賢明かもしれません?自分に合った地獄に??
ただこれは宗教的には大問題です。悪いことをしたら、苦しみの世界である地獄に行かされると
いうことではなく、死後は自分のレベルに応じた地獄で楽しみましょうということでしたら、
「生きている間に悪いことをしたら地獄でひどい目に遭うから、悪いことをしてはいけない」
という脅しがなくなってしまいます。これでは、地獄が地獄の役目を果たしません。

さて、前記事の続きで、ニュートリノの世代について考えてみたいと思います。
(本記事の下の図だけなく、前記事の下の図もあわせてご覧ください)
クォーク、電子、ニュートリノのすべてにおいて、世代は3つあります。
第一世代は、四象(五行)のみの状態です。これまでの記事を見ていただくと分かると思いますが、
光子(粒子としてみたとき)<ニュートリノ<電子<アップクォーク<ダウンクォークの順に、
面積が大きくなっており、これがそのまま質量の順番になります。
第二、三世代ではそれぞれ、四象(五行)にZボソンが一つ、二つ付加した形になります。
Zボソン(Wボソンも同様)はコアを持った球で、大きな体積を持ちます。
よって、Zボソンは、平面構造の四象(五行)よりも、はるかに大きな質量を持ちます。
Zボソンが付加した第二、三世代のクォーク、電子は、Zボソンと同等かそれ以上の大きさを
持ちそうなものですが、クォーク、電子が電荷を持っているために、Zボソンは四象(五行)に
ひきつけられて、体積が小さくなります。ですから、第二、三世代のクォーク、電子は、
Zボソンほどの質量を持ちません(ただし、トップクォークを除きます)。
クォーク、レプトンに付加するZボソンは、内側が電子で、外側が陽電子という構造をしており、
四象(五行)が負の電荷を持っているとき、Zボソンの外側の陽電子が四象(五行)に大きく
引き付けられます。四象(五行)の電荷が正ですと、Zボソンの内側にある電子は四象(五行)に
引き付けられるのですが、陽電子のほうはそれほど引き付けられません。ですから、
第二、三世代のクォークでは、第一世代とは異なり、負の電荷を持ったストレンジクォーク、
ボトムクォークのほうが、同世代で比較すると質量の小さなほうのクォークになります。
電子の場合は、ダウンクォークよりさらに、Zボソンの外側の陽電子が四象(五行)に大きく
引き付けられることになるため、クォークほど大きな質量を持たないと考えられます。
正の電荷を持った第三世代のクォークであるトップクォークは、Zボソンの外側の陽電子が
かなり大きく広がるため、Zボソン単体の質量を越えることになります。

では、ニュートリノの場合はどうか?
ニュートリノには電荷がないので、Zボソンが付加しても、Zボソンが四象(五行)に引き付けられる
ことがないため、第二、三世代のニュートリノはZボソンかそれ以上の質量を持ちそうなものです。
いや、逆に、ニュートリノにZボソンが付加する力がないようにも思われます。
しかし、実際にはそうはなっていません。その理由は、ニュートリノとZボソンが反応するからです。
つまり、ミューニュートリノ、タウニュートリノは安定的に存在できる状態ではないということです。
例えば、ミューニュートリノの分解について考えてみます。ニュートリノがクォークや電子と違うのは、
ニュートリノがZボソンと反応することです。ZボソンはWボソンとWボソンの複合体に分解する
状態を持っており、四象(五行)のニュートリノがZボソン内に入ると、Wボソンの外側にある
反電子ニュートリノと対消滅し、続いて、Wボソンの内側にある電子がWボソンの外側にある
陽電子と対消滅し、電子ニュートリノが残ります。電子ニュートリノも安定的な状態ではなく、
逆の反応も同様に起こり、電子ニュートリノがWボソンとWボソンの複合体を生み出して、
その複合体から四象(五行)のニュートリノが生まれて、ミューニュートリノになります。
同様の機構で、タウニュートリノも生まれます。しかし、四象(五行)のニュートリノに付加
できるのは、ニュートリノの上部と下部の二ケ所ですから、ニュートリノも三世代までに限られます。
説明しましたように、ニュートリノだけは三世代が平衡状態
にあり、どの状態も安定的ではありません。

ニュートリノのエネルギー状態に応じて、世代の存在比は変化するものとも思われます。
ヒッグス場においては、場からできるだけ抵抗を受けないように、ニュートリノの状態は
最適化されますので、ニュートリノの質量は常にほぼ0であるといえるでしょう。


ニュートリノ三世代


2014_11_24


※三才 (Yahoo!ジオシティーズ 元亨利貞by乾陽子 > 陰陽 > 3.四象・八卦)
三才とは天地人のことで、陰と陽と中です。天地の間で常に万物が循環するというのが
三才の理で、一陰一陽は各々偏った存在ですが、中がその陰陽を備えることによって和します。
「天の時、地の利、人の和」といいますが、人が和すときは天地も和して万物が育ち、
全てがうまくいくということです。
宇宙の万物を象徴した天地人三才は、生け花、茶の湯、書道などの日本の伝統文化にも深く
根づいていますが、易は、この天地人三才の道を陰陽の変化をもってあらわしたものともいえます。
繋辞伝には、「易の書たるや広大悉く備わる。天道有り、人道有り、地道有り、三才を兼ねて
之を両にす。故に六なり。六とは它に非ず、三才の道なり」といわれています。
小成の一卦が三爻で構成されるのもこのことによるものです。
また、六爻を以てあらわす大成の卦も、やはりこの三才思想にのっとったものです。
三才






<図の出典>
正課 課文分享 > 易經(第一講)


古代中国では、孫子が、「天の時と地の利を得て戦えば、常に勝利する」と言い、
孟子が、「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。」と言ったそうです。
どんなにタイミングが良くても、良い環境には勝てない。 また、どんなに良い環境でも、
人心が一つになっていることには勝てないということを、孟子は主張しているのでしょう。
孟子の主張することも、分からなくもないのですが、孫子の主張のほうが現実的です。
「天の時」と「地の利」があれば、勝ち戦になる可能性はぐっと高まります。
勝ち戦になれば、個人のモチベーションも上がりますし、団結力も高まります。
その逆が、今の野党です。敗戦濃厚では、人の和は期待できません。離合集散は必定です。
与党になる気がないと、「分厚い中間層を再生させる」などとできもしないことを平気で言えます。

三才思想で大切なことは、天道、人道、地道のどれも無視できないということです。
どれかひとつだけを強調してはいけません。
「頑張れば、できないことはない」という言い方をする人がいますが、本当にそうでしょうか?
世のなかは、頑張ってもできないことだらけといってもいいのではないでしょうか?
日本の社会は、努力を強調しすぎているように思います。
例えば、スポーツ選手が大活躍すると、その人は必ず「努力家」と賞されます。
「頑張らなければ成功できない」と「頑張れば成功できる」を混同してはいけません。
「錦織選手以上の努力をすれば、僕も世界で通用するテニスプレイヤーになれるかな?」
多分、無理だと思います。あまりにも確率が低すぎます。

かといって、「天の時と地の利」にすべてを賭ける姿勢も考えものです。
西洋の占星術がデタラメな理由として、「同じ誕生日の人の人生が同じではない」
という人がいますが、占いの基本として、それは当たり前です。
占いは、「天の時と地の利」には言及しますが、「その人の努力」については関知しません。
一体、占いに何を期待しているのでしょうか?
自分でできることはやった。後は、「天の時と地の利」が我にあらんことを願うのが正常な考えで、
「何もしてないけど、何か良いことは起きないかな」と聞かれれば、答えは簡単です。
「占い以前の問題として、それはないでしょう。」
占わなくても、答えは出ています。「人並みの努力なら、人並みの結果です。」

易において八卦は三つの爻で示されますが、これは、宇宙というものは、3つの異なるものが
合わさってひとつの実体を創っていることを示しています。これは、易の根幹です。
そして、(六十四)卦は、内卦と外卦という2つの八卦で構成されていますが、
これも二つの爻をセットにして、3つの異なるものが合わさってひとつの実体を創っています。
さて、素粒子についても、同様のことが言えるのではないでしょうか?
宇宙において、3つの異なるものが合わさってひとつの実体を創ることが可能であることは、
クォークやレプトンの世代が3つであることに示されています!??
一番下の図に、具体的な素粒子の三世代構造を予測してみました。この予想には、
体積が大きいものほど質量が大きいという特徴があります。
素粒子の質量これだけ言っておいて、クォークに第四世代が
見つかったりすると・・・困ったことになります。
本当に三世代までしかないことを祈るのみです。
詳しい説明の前に、当然疑問に思われる
でしょうから、先に言っておきますと、
「たとえクォークと電子がそうなのだとしても、
 ニュートリノだけははどうして、
 すべての世代で質量がほぼ0なの?」
ごもっともです。
それも含めて次回に・・・

←<図の出典>キッズサイエンティスト >
       やさしい物理教育 > 素粒子の世界
        > ヒッグス粒子と質量


クォーク三世代

2014_11_22


重力 “重力”.ウィキペディア日本語版. 2014-10-22. (参照 2014-11-19).
(概説などは省略)
歴史  重力や重さに関する議論というのは、古代ギリシャのしかも初期の段階から
行われていた形跡があるという。影響力の大きかったのはアリストテレスである。
彼は『自然学』を著し、物の運動等についても体系的に論じた。
彼の宇宙観では、天界と地上はまったく別世界であり、天体はエーテルでできていて、
地上の物体は四大元素でできていると見なした。そして《重さ》と《軽さ》というのは、
地上界にある物体に特有の一対の内在的な性質だと見なした。
古代ギリシャでは、コスモス(世界、宇宙)の中心に地球があると考えられていたので、
アリストテレスもそう考えていた(地球中心説)。アリストテレスにとって、物の落下するということは
コスモスの中心へ接近することであり、上昇するということはコスモスの中心から離れてゆくこと
を意味した。《火元素》を含むものが《軽さ》を内在しており、地中から離れ天へと向かいたがり、
石などには《土元素》が含まれており、《土元素》はコスモスの中心に帰りたがる性質を持っているのだ、
とした。その《土元素》をより多く含んでいるものが、より大きな《重さ》を内在している、とした。
またその速さについては、《土元素》を多く含むものが速く落ちる、とした。
ヨーロッパ中世の人々は、以下のように考えていた。
地リスや鳥などの生き物がそれぞれ巣穴や巣という本来の位置を持っていて一時的に理由が
あってそこを離れることがあっても結局本来の位置に帰るように、物も、それぞれの性質に応じて
本来の位置を持っている。たとえば小石はその本来の位置を地に持っている。
焔はその本来の位置を天上に持っている。
例えば、小石を空中に投げれば、小石は本来の位置から離されることになり、小石は一旦は抵抗を
示しながら上に上がるが、結局はできるだけ速やかに、その本来の位置である地に戻ってこようとする。
(太陽中心説というのは一応アリスタルコスも唱えていたとされるが)16世紀にヨーロッパで
コペルニクス(1473 - 1543)によって太陽中心説が唱えられると、(それがすぐに受け入れられたわけ
ではないが)もしこれを受け入れた場合、アリストテレス的な《重さ》《軽さ》の概念は根底から
考え直さざるを得ない、ということになった。
コペルニクスは、重力というのは、各天体の部分部分が球形になりたがり一体化しようとする
自然的な欲求だ、とした。一方《軽さ》というのは、重さの少ない物体が持つ“偶有的性質”だとされた。

中世宇宙観
ペトルス・アピアヌス(Petrus Apianus)の
Cosmographia (アントワープ、 1539年刊)
に描かれた中世のコスモス像。
アリストテレスの宇宙観の延長上にある。










MKS単位系の後継として国際的に決められている単位系はSI単位と呼ばれていて、
基本単位として、時間、長さ、質量、電流、熱力学温度、物質量、光度の7つが定められています。
それ以外の単位は基本単位を組み合わせることで定義することが可能です。
基本単位のうち、日常的に用いられるものとして、時間、長さ、質量、電流、温度があります。
時間は秒(s)、長さはメートル(m)、質量はキログラム(kg)、電流はアンペア(A)、
温度はケルビン(K)を用います。日常生活でケルビンは聞いたことがないと思いますが、
ケルビンで示された温度から273.15を引けば、℃で示される温度になります。
ちなみに、絶対零度は0K(-273.15℃)です。絶対零度が0℃ですと、
何が絶対なのか意味不明になります。
さて、さらに基本的なお話ですが、質量と重さは違います。
ただ、日常生活では違いを意識することはないと思いますが・・・重量という言葉もありますが、
これは曖昧な表現です。重力は物体が引き合う力であり、重さは物体にかかる重力の大きさを
意味しており、重さの単位は、力の単位であるニュートン(N)で示されます。1kgの物体の重さは、
9.8Nです。Nは基本単位ではなく、1kgの質量を持つ物体に1m/sの加速度を生じさせる力
であると定義することができますので、Nはkg、m、sを用いれば表記できるということです。
質量と重さの違いを理解するためによく言われるのが、「月の引力は弱いので、月に行くと重さが
地球上の6分の1なる」という説明です。質量は物体固有の値ですが、重さはどこの星にいるかによって
変わります。万有引力は距離の2乗に反比例しますので、高度が上がれば重力は小さくなりますが、
地上でも、場所によって重力に違いがあります(遠心力の影響があります)。

重力は何なのでしょうか?古代の重さに関する考えには、勿論、誤りもあるのですが、
単にバカにすればいいというものでもありません。物体の本来の位置を地球の中心とすれば、
地球上にあるものは本来の位置に戻ろうとしているのであり、重力を本来の位置に戻ろうとする力
であると考えることも可能です。本来の位置に戻りたくてしかたない物体は「重たい」ということです。
この考えの素晴らしいところは、「好きだと近づきたくなり、嫌いだと逃げたくなる」などで説明される
ような斥力を排除しているところです。しかし、陰陽的な見方をすれば、
重力には陰はあるけど陽はないといっているようなものであり、
重力に引力はあるけど斥力はないという背景には、何かが隠されているはずです。
このようなことも含めて、現在でも重力の本質は解明できていないのです。
ですから、重力の本質に関して言えば、理解のレベルは今も昔も同じようなものです。

では、質量とは何なのでしょうか?まず、質量は物体の動きにくさ(あるいは止まりにくさ)を表す
値です。光は、初期速度が光速であり、いつになっても光速のまま進むので、質量は0です
(つまり止まりやすさがない)。この機構について説明するために導入されたのがヒッグス粒子です。
質量を持った物体は、ヒッグス粒子によってもたらされたヒッグス場により抵抗を受けて速度を
落とすことになります。一方、質量は、重力を生み出します。こちらについては、ヒッグス粒子は
関係ありません。質量により重力が生み出される機構は重力子という素粒子の交換によるもの
であると考えられていますが、重力子はいまだ発見されていません。
質量には、物体の動きにくさと重力を生み出すという、全く異なる2つの側面があるのです。
実はもうひとつあります。アインシュタインの言った、E=mcです。
質量はエネルギーなのです。
2H+O→2HOという化学反応では、水ができるとき熱が出ます。
つまり、水素分子2個と酸素分子の質量の和より、水分子2個の質量は小さいのです!
ごくわずかなので、通常は同じとみなせばいいのですが、ごくわずかでも
水の質量のほうが小さい分だけ(体積変化の影響を無視)、熱が生まれているのです。

ヒッグス粒子については、実験により質量が約126GeVであるとされています。
eVは、自由空間内で電子一つが1Vの電圧で加速されるときのエネルギーですが、
粒子はエネルギーに比例した質量を持っているということになるので、粒子の質量の単位
として用いることが可能です。Gはギガと読み、✕10を意味します。
陽子の質量は約1GeVですから、ヒッグス粒子はとても質量の大きな粒子なのです。

さらに、質量の大きな粒子がトップクォークです。
トップクォークの質量は約170GeVと言われていますから、なんと
トップクォークは陽子約170個分の質量を持っているのです。
こんなの素粒子であるはずがない!と思いませんか?
原子番号79番の「金」は、陽子が79個、中性子は通常118個あります。
陽子と中性子は似たような質量(電子は無視できる)ですから、トップクォークは金原子並です。
これでも、大きさがなく点であるというのでしょうか?
ちょっと基本理論を考え直したほうがいいのではないでしょうか?

『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』
それは、わたしたちがこの宇宙に存在するためには、わたしたちの宇宙は今のような宇宙
でなければならないからだ。物理を専門とする人がこのような主張をするのですから、
アリストテレスの時代に考えられていた、宇宙の中心に地球があるという考えかたも、
頭ごなしに否定するものでもないのではないでしょうか?


大きな質量の素粒子図:物質を作る粒子(レプトン:e、νe、μ、
νμ、τ、ντ、クォーク:u、d、c、s、t、b)、
力を媒介する粒子(Wボゾン、Zボゾン)、最近
発見されたヒッグス粒子の質量の大きさを高さで
表すグラフ。 トップクォーク(tで表示)は、他の
クォーク・レプトンに比べ極端に重く、Wボゾン、
Zボゾン、ヒッグス粒子と同じくらいの質量。

<出典>素粒子宇宙起源研究機構 トップクォークの質量、ヒッグス粒子の質量(2014年3月)

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青木 薫

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2014_11_20


易経 “易経”.ウィキペディア日本語版. 2014-08-24. (参照 2014-11-17).
『易経』(えききょう、正字体:易經、拼音: Yì Jīng)とは、古代中国の占筮(細い竹を使用する占い)
の書である。符号を用いて状態の変遷、変化の予測を体系化した古典。中心思想は、陰陽二つの
元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。著者は伏羲とされている。
中国では『黄帝内經』・『山海經』と合わせて「上古三大奇書」とも呼ぶ。
(以下一部抜粋)
概要>三易の一つであり、太古よりの占いの知恵を体系・組織化し、深遠な宇宙観にまで
昇華させている。今日行われる易占法の原典であるが、古代における占いは現代にしばしば見られる
軽さとは大いに趣きを異にし、共同体の存亡に関わる極めて重要かつ真剣な課題の解決法であり、
占師は政治の舞台で命がけの責任を背負わされることもあった。
書名>なぜ『易』という名なのか、古来から様々な説が唱えられてきた。ただし、「易」という語が
もっぱら「変化」を意味し、また占いというもの自体が過去・現在・未来へと変化流転していくものを
捉えようとするものであることから、何らかの点で ”変化” と関連すると考える人が多い。
有名なものに「易」という字が蜥蜴に由来するという ”蜥蜴説” があり、蜥蜴が肌の色を
変化させることに由来するという。また、「易」の字が「日」と「月」から構成されるとする
”日月説” があり、太陽と太陰(月)で陰陽を代表させているとする説もあり、
太陽や月、星の運行から運命を読みとる占星術に由来すると考える人もいる。
『易経』の構成
現行『易経』は、本体部分とも言うべき(1)「経」(狭義の「易経」。「上経」と「下経」に分かれる)と、
これを注釈・解説する10部の(2)「伝」(「易伝」または「十翼(じゅうよく)」ともいう)からなる。
(1)「経」には、六十四卦のそれぞれについて、図像である卦画像と、卦の全体的な意味について
記述する卦辞と、さらに卦を構成している6本の爻位(こうい)の意味を説明する384の爻辞
(乾・坤にのみある「用九」「用六」を加えて数えるときは386)とが、整理され箇条書きに収められ、
上経(30卦を収録)・下経(34卦を収録)の2巻に分かれる。
「経」における六十四卦の並び方がどのように決定されたのかは現代では不明である。

六十四卦配列
←<出典> 易教ネット
(図の詳細は出典元を
 ご覧ください。
 上の”易経ネット”を
 クリック。)



卦の対称性

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どうして、『易経』において、卦を上の図(左)のように並べたのでしょうか?
順序に関する規則性について唯一分かることは、上下に並べると線対称になる卦が隣り合っていること
です。しかし、それ以外は卦をランダムに並べたとは思われません。必ず何か法則があるはずです。
『易経』の分編は上経が30卦、下経が34卦であり、上経と下経の卦の数は一致していないの
ですが、上下に並べると線対称になる2卦を1卦と数えるならば、実は18卦で同数になっています。
つまり、上経には、上下に並べると線対称になる卦が12組あり、内卦と外卦が線対称になって
いる(=線対称になる相手がそれ自身)卦が6つあります。一方、下経には、上下に並べると線対称に
なる卦が16組あり、内卦と外卦が線対称になっている卦は2つだけです。
上下に並べると線対称になる卦を1組とすることで同数であるとすることより、なぜ、内卦と外卦が
線対称になっている卦を上経に6つ、下経に2つと、異なる数にしたのかのほうが気になります。
さらに、内卦と外卦が線対称になっている卦(8つ)のなかでも、卦を構成する内卦のみにおいても
(外卦のみにおいても)線対称になる卦(乾為天、坤為地、坎為水、離為火の4つ)は、
すべて上経に含まれています。例をあげると、上の図(右)に示しました坎為水(29)です。
内卦と外卦が線対称の関係になっているうえに、内卦のみにおいても(外卦のみにおいても)
上下の線対称になっています。ちなみに、「坎為水」は四大難卦のひとつで、
「もっとも困難・重病を覚悟しなければならない卦」です。

少なくともいえることは、上経と下経は対称になっていないことです。
卦は同じ数の陰と陽で構成されているのですから、六十四卦を上経と下経に対称的に
分けることは可能です。どう考えても意図的に上経と下経を非対称にしたのです。
真意は分かりませんが、宇宙が陰陽から生み出されていても、
わたしたちが存在する空間は非対称な世界である
ということを示しているのではないでしょうか?

さて、卦により想定されるウィークボソン、ヒッグス粒子においては様々な対称性が存在します。
Wボソン、Wボソン、Zボソンにはそれぞれ、8つのパターンが考えられます。
下の図には、Wボソンの8パターンを示しています。(Hはヒッグス粒子)
この8パターンがすべて同じ数だけ存在すれば対称性があるということになりますが、
右巻きWボソンが存在するという話は聞きません。Wボゾンは、フェルミオンの左巻きのスピンを
持っている部分(あるいは反フェルミオンの右巻きのスピンの部分)にしか反応しません。
もし右巻きWボソンが存在するとすれば、非常に質量の大きな(=不安定な)粒子なのでしょう。
卦により想定されるウィークボソンには、粒子の配置:内側↔外側、
内側の回転:右↔左、外側の回転:右↔左という3つの対称性があり得ますが、
3つの対称性はすべて失われているものと思われます。
その原因となるのがヒッグス粒子でしょう。ヒッグス粒子にはスピンがないのに、
卦により想定されるヒッグス粒子には2パターンが存在します(下の図に記載しています)。
しかしながら、実際の宇宙には、この2パターンのどちらかしか存在しないのではないでしょうか?
陰陽はどこまでいっても対称的なのに、
現在の現実の空間は非対称な世界なのです。

特に、真空の対称性は大きく損なわれていることが予想されます。

ただし、陰陽による対称世界が失われたということではありません!
わたしたちのいる世界が、たまたま「陰」であれば周辺環境は陰だらけですし、
たまたま「陽」であれば周辺環境は陽だらけになります。
人間には、すべてのものを把握する能力が与えられてはいないことを忘れてはなりません。


WZH対称性



2014_11_18


断易奥義 トップページ > 基礎入門1 > 卦(か)
卦(か)
下記の図にある ─ と -- の棒を爻(こう)と呼び、陰と陽を表している。
また、6つが重なって構成されているものを大成卦(たいせいか)と呼び、
それぞれにある①②③を内卦(ないか)、④⑤⑥を外卦(がいか)と呼ぶ。
さらに、①=初爻 ②=二爻 ③=三爻 ④=四爻 ⑤=五爻 ⑥=上爻と呼ぶ。
周易という占いでは、爻辞(こうじ)卦辞(かじ)と言って、それぞれの爻や卦のひとつひとつ
に意味がつけられているのだが、断易では、ほとんど用いることはない。(図は省略)
八卦(はっか、はっけ)
八卦とは、自然界の現象を八つの象に分類したもので、爻を三つ組み合わせた三爻
で構成されている。以下の図が八卦である。
断易では、それぞれの八卦を2つ組み合わせた64卦(ろくじゅうしか)を見て占う。
八卦×八通りの組み合わせ=64パターンに分けられることから64卦と呼ぶ。(図は省略)
八純卦(はちじゅんか)
断易では、八純卦(はちじゅんか)というものが基本となる。
その八純卦を首卦(くびか)とも呼ぶ。下記の図は8種類の首卦である。
内卦①②③と外卦④⑤⑥の爻が、全く一緒になっているのが首卦の特徴でもあり、
同じ八卦が2つ組み合わさったものとも言える。
その1つのまとまりを宮(きゅう)と呼び、全体で八宮が存在する。
赤字で表示された「父、金、母、土、・・・」は、それぞれの宮が持つ属性である。

八純卦

易には断易という占いかたがありますが、その基本として八純卦というものがあります。
八純卦は同じ八卦が2つ組み合わさったものであり、断易ではこれを基本としています。
他の卦は、八純卦の一部の爻を変えたもの(変えかたにより、一世卦、二世卦、三世卦、
四世卦、五世卦、遊魂卦、帰魂卦に分類される)として占います。
どうして、内卦と外卦に同じ八卦を置いたものを基本としているのでしょう。そもそも、
卦は宇宙の万物創世の様子を示したものであり、単なる占いのアイテムではありません。
前記事で、卦は内側と外側に分かれている様子を示していると説明しましたが、
卦を代表する素粒子はヒッグス粒子です。
そして、ヒッグス粒子が何でできているかは、八純卦に示されています。
前記事の引用にありますように、易経は、占いにより何かを知るというよりも、
人生で起こるあらゆる問題の解決法を示しているという側面があります。
そして、その解決法は、宇宙の生成を体系化することで示されているのです。
宇宙と人生がどのようにつながっているかと言いますと、
宇宙のなかを進むうえで障害になるもの=
人生を歩んでいくうえで障害になるもの
です。
そのなかで、宇宙において最も象徴的存在がヒッグス粒子なのです
(勿論、昔の賢者は、それをヒッグス粒子として認識してはいないでしょうが)。
そして、易のなかでヒッグス粒子を表現しているのが、八純卦です。
八純卦では、内側と外側に同じものをおいて、そのなかにすべての状態を含んでいます。
八卦が示すすべての状態を含有しているのは、「速度を落とした光子」であり、
卦の構造である内側と外側に、光子が閉じ込められているものと考えられます。
光子は光速で直進するものとされていますが、内卦と外卦という構造は光子を安定的に
閉じ込めることができるようです。空間が閉じられているという考えかたも可能で、内卦と
外卦という構造内では、単独で存在する光子とは全く異なる状態になっているのでしょう。
卦内では光子の存在が不明確になり、光子は回転せず、内卦と外卦が回転します。
ヒッグス粒子では内卦と外卦は逆回転しており、全体で見れば回転していません。
特別なことがない限り、卦の構造に2つの光子が入っている状態は安定的であり、
卦が崩壊したり、卦のなかに他の素粒子が侵入することはありません。
光子と同様に安定的に存在していますが、光子と異なり速度0となって空間に留まり、
全体として場をつくりだします。光子は卦による場を全く抵抗なくすり抜けることが
できますが、八卦で示されるクォークやレプトンはある程度の抵抗を受けます。
高エネルギーを与えるなど何らかの方法を行えば、卦の構造を壊すことができ、
ヒッグス粒子は2つの光子になるものと考えられます。そのとき、
2つの光子が対消滅してしまえば、何らかの粒子と反粒子が生成するでしょう。また、
卦の構造が壊れなかった場合、卦の構造を持つウィークボソンへの崩壊が考えられます。

もう一度、宇宙生成の流れを考えると、易ではこうなります。
太極 →両儀 →四象 →八卦 →八純卦   →六十四卦(八純卦以外の卦)は、
 ? → ? →光子 →粒子★→ヒッグス粒子→その他の粒子、となります
(粒子★は、第一世代のクォークやレプトンです)。
つまり、第一世代のクォークやレプトンが質量なく光速でとんでいたときがあった
ということになります。卦という構造が生まれ光子からヒッグス粒子ができたことで、
クォークやレプトンなどは急速に速度を落としたということになるのでしょう。
余分な話になりますが、四象である光子は、「火+水」と「木+地」に分かれて
回転しているのですが、完全に分離しているわけではないので、
「火+水」と「地+風」は同じ方向に回っています(つまり、2回転)。一方、
八卦(第一世代のクォークやレプトン)は一枚の板のようなものなので、1回転です。
八純卦(ヒッグス粒子)では、内卦と外卦が逆回転になるという決まりがありそうです。
内卦と外卦の回転には、それぞれ右、左回転もしくは左、右回転の2パターンありますが、
どちらの場合でも、八純卦全体で見ると回転していないことになります。

現代人は賢いとわたしたちは思っていますが、
本当にそうでしょうか?現代に伝わっていない部分を含めれば、
「易の示す宇宙」は現代物理を越えているのかもしれません。


八純卦とヒッグス粒子


2014_11_16


第一章 易経とは人生の変化を教える書
(超訳・易経 角川SSC新書 自分らしく生きるためのヒント 竹村 亞希子)
六十四の卦(か)に記された人生
(前略)私がこれからお話ししていく易経とは、人生で起こるあらゆる問題の解決法(これを易経では
「中(ちゅう)する」といいます)が、あの手この手を使って書いてある書物のことで、
占って得た卦だけを読むというものではありません。
誤解を恐れず言うならば、易経は「陰」と「陽」で「中する」ということを伝えるために書かれた書物で、
この重要な三点について、六十四種類の卦と三百八十四の小話を使って、
手を変え品を変え私たちに伝えようとしているものなのです。
人間には、苦しみ、悲しみ、勢いがある、どうにもならない閉塞、楽しみ、安らぎなど、
いろいろな時がめぐってきます。一口に苦しみといっても、金銭問題で苦しい、人間関係で苦しい、
望みがかなわず苦しいなど、さまざまな苦しみがあるでしょう。
易経ではそういったさまざまな状況を一つの「時」=卦(か)として、六十四の物語にして書いてあります。
それぞれの卦(か)にはさらに六つの小話があり、全部読むと起承転結の物語のようになっています。
どの卦(か)に書いてあることも、自分に関係のない話は一つもありません。
誰もが経験したことのある、あるいはこれから経験するであろうことばかりです。
ですから、どこの卦から読んでも必ず、あなたやあなたの周りに起こっている問題や状況に
合致する話が書いてあり、そして、「なにをすればうまくいく」「なにをすればうまくいかない」という
具体的な対処法(「中(ちゅう)する」こと)、つまり人生のなかの出処進退の方法が書かれています。
これを読み取っていくことで、自分らしく生きるためのヒントを見つけてほしいのです。(中略)
易経は、「実践哲学の書」ともいわれているように、運命を打開するための哲学が書かれています
から、書かれている対処法を実際にやってみることに意義があります。
まさに、「禍(わざわい)転じて福となす」となるための対処の智慧(ちえ)が満載の書なのです。

超訳・易経 自分らしく生きるためのヒント 角川SSC新書超訳・易経 自分らしく生きるためのヒント 角川SSC新書
(2012/10/12)
竹村 亞希子

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卦の構成

陰陽論では、陽が極まれば陰となり、陰が極まれば陽となると諭しているのですが、
人生がうまくいっているときには、何をしてもいつまでも、成功し続けるように思うものです。
程度の差こそあれ、うまくいっている人は内心、「俺はすごいんだ」と思ってしまうものですが、
それを周囲の人に公言したり態度で示したりすると、いざというとき誰も助けてくれなくなります。
逆に、何をやってもうまくいかないときは、永遠にうまくいくときは来ないように感じられます。
とにかく、やる気が起きません。やることすべてが無意味であるように思えます。しかし、
このときの過ごしかたが大切なんだと、左遷を経験した社長が語るというのは、よくある話です。
陰陽論では陰と陽は同じ大きさなので、わたしたちは同じ長さの期間、陰と陽を体験しても
良さそうなものですが、そう思っていると、長い「陰」の期間が耐えられなくなるかもしれません。
なぜなら、わたしたちは、楽しいときは短く感じ、つらいときは長く感じるものだからです。
また、「このつらいときが過ぎれば、明るい未来が来るんだ」と思って我慢ばかりしていても、
明るい未来は永遠にやってこないかもしれません。そうではなく、
「陰」のなかに喜びや楽しみを見つけることが大切なのです。
病気になって見える風景は、ばりばり働いているビジネスマンが見る風景と同じではありません。
スピードを落として見えるものに気づかなければ、いつまでも「陰」のなかでもがき続ける可能性も
あります。車が脱輪したときには、脱出する際にエンジンの回転数を上げてはいけないのです。

さて、当たるも八卦、当たらぬも八卦ということで書いた「万物創世に関する八卦の陰陽論」
(前々記事)ですが・・・『「四象」はさらに陰陽に分割されて、「八卦」になるのです。
この陰陽分割は、宇宙の生成においては「内と外」の分割であると考えられます。』
という部分については、ちょっと違うような気がしてきました。

八卦を考える前にスタートに戻って考えてみると、万物の根源である「太極」の本質は「無極」
(何もない)であり、この「太極」から「陰陽」が生まれることで、宇宙がはじまります。
般若心経のような言い方になりますが、はじめに「無極」があったのです。
その「無極」はこれすなわち「太極」であり、その「太極」には「意図的な」動きが生まれ、
陰と陽に分離した「両儀」という状態になります。「太極」の動きは両儀のままでは留まらず、
さらに、陰から陽が生まれ、陽から陰が生まれることで、「四象」という状態が生まれます。
「四象」は安定であり、これは物理的には光子であり、これが「光の世界」を生み出します。
一瞬にして、一つであった「四象」は爆発的に数を増やし、最小単位(本当の最小単位は「四象」を
構成するメッシュ)の「四象」で満たされる1cm程度の大きさがある火の球になります。
このあたりが、インフレーションとかビッグバンと呼ばれるあたりです。
この火の玉は急激に膨張するとともにエネルギー密度が低下し、「四象」の「(±)木」と「地」の部分に
おいて陰陽の高速変換ができなくなり、陰と陽のどちらかに固定化されてしまうものが生まれます。
このとき、「(±)木」は横分割され、「地」は縦分割されます(「四象」というピラミッドの中心を
周辺から眺めた場合における縦と横)。というより、横分割、縦分割されるものを、
それぞれ「(±)木」、「地」と呼びます。「(±)木」、「地」の陰陽は固定化されて、
それぞれ、「木」または「風」、「金」または「土」になります。
ただし、「(±)木」のほうは「木」または「風」のどちらか一方の状態に変化するのですが、
「地」のほうは陰陽が固定化されることで、「金」と「土」という分離可能な二つの状態になります。
ですから、四象は五行という考えに発展したのです。
また、「金」と「土」は位置を反対にすることができるので、「地」には4つの状態が生まれます。
記事29-3の九星を見ていただくと分かりますが、9つのなかに、「火」「水」は一つしかないのに、
「木」「金」は二つ、「土」は三つ(中央の「土」を除けば「土」も二つ)あります。
九星では、なぜ、「火」「水」は一つしかないのに、「木」「金」は二つで、「土」は三つあるのか?
これは、九星が八卦をもとにしてつくられたからではないでしょうか?
物理的な観点ですと、光の波動性を示す「(±)木」と「地」が陰と陽のどちらかに固定化される
ことにより、八卦の状態を生み出します。四象は四つの要素がつながっていますが、
八卦の要素は、一つ一つがバラバラに分離可能です。
ただし、「金」と「土」における二つの状態は、他の要素と結びついていなければ同一物になります。
実際、八卦の一つ一つの要素はバラバラになって存在しています。それらは物理的な意味を
持っていますが、ニュートリノよりさらに小さいものなので、物理的に検出不能です。
実は、宇宙の真空は八卦の一つ一つが大量に存在している状態であり、それが真空エネルギーに
なっています。八卦が3つか4つ集まっているものが、クォークや電子、ニュートリノなどの素粒子です。

宇宙の生成において、「内と外」の分割が生まれるのは、八卦の後です。八卦は3つの爻(こう)で示され
ますが、これを二つ重ねて一つの「卦」(か)を呼ばれるものをつくり、これが易占いに用いられます。
2つの八卦のうち、下にある八卦を内卦、上にある八卦を外卦といいます。
内卦は必ず下にあり、外卦は必ず上にあるのですから、それぞれ、下卦、上卦と呼ばれるほうが普通だと
思いますが、これにわざわざ、内、外という概念を持ち出しているのには理由があります。
卦において、陰陽が「内と外」へ分離することを意味しています。
また、卦は8×8の64種類あるのですが、これも内卦、外卦の重要な特徴を示しています。
つまり、単なる上下ならばひっくり返して同じものは区別できず、同一物とみなすことができるはずですが、
「内と外」ならば、上下をひっくり返しても、元のものと区別できるということになります。
卦が物理的にどのような意味を持つかは、次の記事で考えます。


卦


2014_11_14


オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった
現代ビジネス 11月9日配信 (Yahoo! JAPAN ニュース)
消える職業なくなる仕事仕事はほぼ半減する
「コンピューターの技術革新がすさまじい勢いで進む中で、これまで人間にしか
できないと思われていた仕事がロボットなどの機械に代わられようとしています。
たとえば、『Google Car』に代表されるような無人で走る自動運転車は、
これから世界中に行き渡ります。
そうなれば、タクシーやトラックの運転手は仕事を失うのです。これはほんの
一例で、機械によって代わられる人間の仕事は非常に多岐にわたります。
私は、米国労働省のデータに基づいて、702の職種が今後どれだけ
コンピューター技術によって自動化されるかを分析しました。
その結果、今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が
自動化されるリスクが高いという結論に至ったのです」
人間が行う仕事の約半分が機械に奪われる―そんな衝撃的な予測をするのは、
英オックスフォード大学でAI(人工知能)などの研究を行う
マイケル・A・オズボーン准教授である。
そのオズボーン氏が、同大学のカール・ベネディクト・フライ研究員とともに
著した『雇用の未来―コンピューター化によって仕事は失われるのか』という
論文が、いま世界中で話題となっている。
←(註)オズボーン氏の論文『雇用の未来』の中で、コンピューターに代わられる
   確率の高い仕事として挙げられたものを記載
絶対に消えない仕事とは?
『バクスター』という汎用ロボットは、人間がロボットの腕などを動かして仕事を憶えさせることで、
パターンを暗記してその作業を自動的に行えるという。
しかも、『バクスター』の値段は約2万ドル(約210万円)ほどで、産業用ロボットが平均して10万~15万ドル
する中にあっては安価だ。
ロボットがこうして広く普及するにつれて、大量生産によってその値段はどんどん下がっていく。
「10年以内に産業用ロボットは平均して5万~7万5000ドルほどの値段で買えるようになる」とオズボーン
氏が指摘するように、価格下落がさらにロボットの普及をうながし、人間の仕事をさらに奪っていく。
(中略)ロボットやコンピューターは芸術などのクリエイティブな作業には向いていません。
となれば、人間は機械にできる仕事は機械に任せて、より高次元でクリエイティブなことに集中できる
ようになるわけです。人間がそうして新しいスキルや知性を磨くようになれば、これまで以上に輝かしい
『クリエイティブ・エコノミー』の時代を切り開いていけるのです」
もちろん、そうした高次元でクリエイティブなスキルを身につけられなければ、失業者に転落するリスクが
大きいということでもある。来たるべきロボット社会で生き残るのは、なかなか容易ではなさそうだ。

CD生産数量


個人的な興味とか適性はここでは除外しまして、就職において、企業の将来性や安定性は重要です。
業種(民間)という点で考えてみると、将来性や安定性を決定する重要な要因として、
業界の需給バランスが崩れていないか?崩れそうではないか?という観点があります。
一方、公務員の場合は安定した職業とされていますが(少なくともこれまではそうでしたが)、
あなたが公務員になったとして、定年退職するまでに国家財政が破たんしないかという点が最も重要です。
国家財政が破たんすれば、すべての公務員が夕張市職員と同じ状況に陥ります。

陰陽論には、陰陽消長(陰陽のリズム変化)や陰陽制約(陰陽がバランスをとる様子)といった言葉が
ありますが、陰陽の変動幅がバランスのとれる範囲を超えてしまいますと、
陰陽のバランスが失われて元に戻らない現象が起きます。需要を「陰」、供給を「陽」と捉えると、
現在の日本の社会では、「陽に偏る」(供給過多になる)傾向が顕著になっています。
日本の将来を考えてみますと、人口が減少することは確実であるため、日本経済が
「陰虚」(日本漢方における意味)に陥る可能性が大です。
(陰=新陳代謝機能が低下している状態、虚=生きていくエネルギーが不足している状態)

職業、仕事、業界に関して、「消える」とか「なくなる」というのは大げさ過ぎるかもしれません。
しかし、人気の高い職種やこれまで成長してきた業界の職種において、その職種に就く人が増加して
いる状況で需要が減少しはじめると、急激に需給バランスが悪くなってしまいます。
そうなると激しい競争が起きて、勝ち組と負け組に二極化し、負け組になった人はその仕事では
食っていけなくなります。業界によっては、価格競争が激化して、勝者なき戦いになる可能性もあります。
例えば、弁護士業界。お金をつぎこんで、一生懸命努力して司法試験に合格して、さあ頑張ろうと
思っても仕事がありません。IT化の進展により、業界を問わず、一人の人間が処理できる仕事量が増加
した結果、働く人手がかつてほどいらなくなってきています。弁護士の仕事も昔より効率化しています。
実績のない若手が仕事を得るのは簡単ではありません。あきらめて違う仕事に就けば、これまで
の努力のすべてが無駄になってしまいますから、なんとか弁護士の仕事にありつこうとします。
このような人が大勢いるものですから、「食えない」状態が続くことになります。
「資格を活かした仕事」という考えは誰でも持つので、応募者が殺到するのです。
応募者殺到の業界が飽和に達してしまうと、すぐに需給バランスが崩れて、激しい競争に巻き込まれる
か、条件の悪い仕事しかないという状況に追い込まれる可能性が高いのです。

次に音楽業界。音楽業界のビジネスモデルはCD(昔はレコード)を売ることです。
上の図に示していますように、CDの売上げは年々減少しています。この売上げからジャニーズとAKBを
引くとどういうことになるかは誰でも想像がつくことでしょう。コンサートで儲けられるのは
超有名アーティストに限られます。楽曲のダウンロードによる売上げもそれほど伸びてはいません。
いくら、ロボットやコンピューターが芸術などのクリエイティブな作業に向いていないといっても、
この業界で食っていくのは、将来にわたって容易ではなさそうです。

どの業界についてもいえることですが、需給バランスが一度崩れてしまうとなかなか元には戻りません。
永遠に戻らない可能性もあります。
ユニクロやしまむらでしか服を買ったことがない人間が、百貨店で高級な服を買うようになることはない
でしょう。もしこの業界で勝負をするなら、ユニクロ以上のお買い得感が求められます。
もうちょっとファッション性の高い服を扱うとすれば、H&MやZARAとの勝負になります。
魅力的で特徴のある商品を出していけば成功する可能性もあるでしょうが、
激しい競争に巻き込まれて、失敗に終わる可能性はかなり高いといえるでしょう。
苦境に陥った業界では、給与が安い、キャリアアップができそうもない、会社の将来性が不安、
職場の人間関係がつらい、ノルマがきつく仕事がつらい、ストレスが大きい、
労働時間が長くて健康を損ねるといったことになります。
これらは退職の原因の上位に挙げられている回答と一致しています。

このような状態に陥る業界が今後さらに増えていくことが予想されます。
経済発展をとげてきたこれまででさえ、日本は幸福途上国なのです。
業界がダメでも、そのなかで努力して成功をおさめている人が多くおられるもの事実です。
しかし、大多数の人は苦境に陥ります。
この事態を少しでも避けるためにも、日本には経済成長が求められますが、この状況を根本的に
変化させるほどの経済成長を達成する確率はあまりにも低いと言わざるを得ません。
国が1000兆円にも達する借金を抱える状況では、国によるセーフティネットにも限界があります。
誰かが苦境に陥っても誰かがそれを支えるといった社会的な仕組みを考えるときに来ているの
ではないでしょうか?それともうひとつ、何度も、何歳でもチャレンジできる環境が必要です。
少なくとも、生涯ハケンという状況は異常です!

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(2011/06/24)
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2014_11_12


八卦1八卦  “八卦”. ウィキペディア日本語版. 2014-05-31. (参照 2014-11-09).
八卦(はっけ、はっか)は、古代中国から伝わる易における8つの基本図像。
すなわち、<左の図>の八つ。
卦は爻と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできたものである。
爻には─陽(剛)と--陰(柔)の2種類があり、組み合わせにより八卦ができる。
なお八爻の順位は下から上で、下爻・中爻・上爻の順である。
また八卦を2つずつ組み合わせることにより六十四卦が作られる。
卦象
八卦は伏羲が天地自然に象って作ったという伝説があり、
卦の形はさまざまな事物事象を表しているとされる。
下表のように方位などに当てて運勢や方位の吉凶を占うことが多い。(表は省略)
次序
なお朱子学系統の易学における八卦の順序には「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」
と「乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌」の2通りがある。
          前者を「伏羲八卦次序」、後者を「文王八卦次序」という。
伏羲八卦次序は繋辞上伝にある「太極-両儀-四象-八卦」の宇宙の万物生成過程に基づいており、
陰陽未分の太極から陰陽両儀が生まれ、陰と陽それぞれから新しい陰陽が生じることによって
四象となり、四象それぞれからまた新しい陰陽が生じることによって八卦となることを、
八卦2
の順で表している。下記の図はその様子を描いたものであり、陽爻は白で、陰爻は黒で表されている。
八卦3

一方、文王八卦次序は上記のような説卦伝で説かれた卦の象徴の意味にもとづいており、
八卦4(←)父母が陰陽二気を交合して
(←)長男長女・
(←)中男中女・
(←)少男少女を生むという順を表す。
ここで子は下爻が長子、中爻が次子、上爻が末子を表し、陽爻が男、陰爻が女を象徴している。

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(2010/04/17)
盧恆立(レイモンド・ロー)

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これまで陰陽論として、四分割したもの(四象)、それを発展させて五分割としたもの(五行)にて、
宇宙の成り立ちを説明してきましたが、中国で伝わる陰陽論は、
「太極(1)→両儀(2)→四象(4)→八卦(8)」で宇宙の万物生成過程を説明しています。つまり、
宇宙の生成には四分割ではなく八分割が必要である
としているのです。復習をしますと、ダウンクォークや電子については四象で説明することができます。
これまで書いてきましたように、ダウンクォークは「火地風水」、電子は「地風水」です(記事34-1)。
光は、粒子としての「火水」と、波動としての「地木」の2つが組み合わさっています(記事33-4)。
アップクォークは四象だけでは説明ができず、五行が必要になります。
そうしなければ、現実の電荷である+2/3eが説明できません。
五行である「金」と「土」を導入することにより、アップクォークは「火金木水」で表現されます。
記事34-3には、反電子ニュートリノを示しているので、その対称物が電子ニュートリノであり、
「金木水」となります。これで素粒子が終わりならいいのですが、
「まだまだ素粒子はあるぞ。他はどうなるのか?」ということになります。

ここで、これまでの陰陽五行論による説明と素粒子の質量の関係を考えてみます。
光子には質量がないので、空間の抵抗は「火水」には及ばないことになります。
ヒッグス粒子に満たされた空間においても「火水」の大きさならスルーなのです。それに、
小さな破片である「金」がくっついた電子ニュートリノの質量は0ではないが非常に小さい
(電子の100万分の1以下)と考えられているので、どうも「金」がくっついているくらいでは、
ほとんど抵抗を受けないようです。しかし、「金」ではなく、大きな破片である「地」がくっついている、
つまり大きな破片が3つ(電子)になると、測定できるほどの質量を持ちます。
アップクォークはさらに小さな破片である「金」がくっいているので、質量が電子の約6倍あります。
一方、ダウンクォークは大きな破片である「火」がくっついているので、質量が電子の約12倍あります。
ここまでは、一応、大きさと質量の関係は現実と一致しています。問題はここからです。
Wボソンの質量は電子の約16万倍です。これは、記事34-3で説明しました「陰陽五行のWボソン」
の大きさくらいでは到底、実際のWボソンの質量は説明できそうもないのです。
これは、全く別の機構が働いていると考えざるを得ません。
そこで登場するのが、「八卦」です。「四象」はさらに陰陽に分割されて、「八卦」になるのです。
この陰陽分割は、宇宙の生成においては「内と外」の分割であると考えられます。
「内側の四象」と「外側の四象」に分割されることで、
素粒子は立体構造を持つのです。
これが「上下」ではないこともポイントです。「上下」ならば反転させることができるため、
宇宙空間においてどちらが上でどちらが下であるかを断言することはできません。
しかし、「内外」は明確に区別することが可能です。また、この「内外」の構造は、「四象」で示される
平面構造より、飛躍的に大きな体積を占めることが予想されます。「Wボソン」、そして「Zボソン」に
ついても、「内外」の構造を持つ「八卦」により説明が可能なのではないかと思います。
予想される構造を下の図に示しています(WボソンとZボソン)。WボソンとZボソンのどちらも、
内側に「地風水」、つまり電子(Wボソンでは陽電子)があると考えていますが、その逆もあり得ます。
「四象」で示されるクォークが合板(四枚張り合わせ)のような存在であるのに対し、「八卦」で示される
ウィークボソンは合板でつくった家具のようなものであるとすれば、専有面積が全く異なります。
クォークが板なら、ウィークボソンは箱です。
この専有面積が宇宙空間を進むうえでの抵抗になり、大きな質量を与えていると考えられるのです。

記事34-3の図のような書き方をすると、平面体であるダウンクォークからいきなり立体構造を持った
ボソンが出現するような印象を与えてしまいますが、この反応では中性子が陽子になっているのです。
つまり、ハドロンも何らかの立体構造を持つ(クォークを平面体と見なしている)と考えられます。
「四象→八卦」を立体構造の付与と考えれば、過去の中国において書かれた陰陽論が示している
「太極→両儀→四象→八卦」は宇宙万物の生成プロセスを的確に説明しているように思われます。
これはあくまでも予想です。間違っていたらごめんさない。
当たるも八卦、当たらぬも八卦ということで・・・


八卦とボソン


2014_11_10


思惑だらけの日銀の異次元緩和第2弾は成功するのか?(11月7日 日経Bizアカデミー)
急速な円安には、大きなリスクがある
確かに、今は円安に振れていますから、グローバル企業の業績がかさ上げされることは間違いありません。
ただ、それが「国内での」給与上昇、ひいては家計の支出増大に反映されるかどうかは微妙なところです。
円安に振れると、輸出産業の業績が改善されると言われていますが、実のところ、かなりの部分が
グローバル企業の海外での業績が円換算額で増えるということなのです。輸出企業の業績が上がれば
国内での賃金上昇につながりやすいですが、グローバル企業が海外での業績を上げても、国内賃金には
反映しにくいのです。マイナスにはならないものの、国内の給料に反映されるかどうかは、未知数です。
その点を考えると、急速な円安はデメリットの方が生まれやすいと思います。
まず、円安が進めば、貿易赤字がますます悪化します。
さらに、円安の影響で輸入価格が上がれば、企業も最終消費財の価格を上げざるを得なくなります。
当然、これは消費の足を引っ張る恐れがあります。もう一つ問題があります。
先ほども説明しましたように、給与は実質的には減少していますから、原材料の輸入価格が上がっても、
企業がその分を最終消費財の価格に転嫁しきれないことがあるのです。
特に、中小企業が大企業に品物を納入する場合、原材料高の影響を受けているにも関わらず、全てを
価格に転嫁できないのです。その点を考えると、今後、中小企業の業績が悪化する懸念があります。
このように、急激な円安が起こると、グローバル企業や輸出企業へのメリットという好影響はあるものの、
大きな悪影響も起こりやすいのです。
異次元緩和はカンフル剤でしかない
この株高がいつまで続くかどうかは、はっきり言って分かりません。日本株の割安感が今回の株高で
かなり解消したので、企業業績のさらなる向上という裏打ちがなければ失速する可能性もあります。
そして、一つ確実に言えることは、異次元緩和や公共工事といった政策は、所詮、カンフル剤でしか
ないということです。本物の成長戦略を出さなければ、根本的な解決策にはならないのです。
もし、これで消費増税を行うのであれば、景気後退は避けられません。
今年4月の消費増税後の景気の状況を見ると、その影響は想像以上に大きいことが分かっているからです。
そこで政府は、増税後の景気悪化を避けるために、3~4兆円規模の景気対策を行うと表明しています。
消費税を上げて公共事業を増やすということは、「広く薄くお金を集めて、既得権益にばらまく」と言っている
のと同じことです。もちろん、消費税増税分は福祉財源に充てると言っていますが、お金に色はありません。
消費増税で得たお金が結果的にバラ撒きに使われたということにもなりかねません。
これではいつまで経っても経済を再生させることはできないでしょう。
すでに財政の規律は失われつつあり、来年度の一般会計予算は100兆円を超える規模になります。
このツケは、国民、そして将来の子どもたちの負担になることを忘れてはなりません。

官製相場の暴落が始まる――相場操縦しか脳がない米、欧、日 経済 (エコノ・グローバリスト)官製相場の暴落が始まる――相場操縦しか脳がない米、欧、日 経済 (エコノ・グローバリスト)
(2014/11/02)
副島 隆彦

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相場の格言前記事は幻想にどっぷりとつかった内容でしたが、本記事は現実世界に戻ります。
厳しい現実ばかりだと嫌になってきますが、現実離れした話ばかりですと、たまには
現実に戻りたくなるときもあります。記事31-7「空売りする前に考えてほしいこと」
(9月15日)で、安倍さんは株価が下がれば政権が持たないと考えているのでしょう
から、少し株が下がったときに空売りするのは危険だとお伝えしましたが、日経225で、
9月中旬に16000円程度あった株価は10月17日に14529円まで下がりました。
そして、今日(11月7日)の終値が16880円ですから、1ケ月もしない間に15%超
の値上がりになっています。銘柄によって違いはあるでしょうが、10月中旬に空売りを
した人は、11月に入って夜に熟睡できていないのではないでしょうか?
そうは言ったものの、まさか、ここで金融緩和に踏みきるとは思いませんでした。なぜなら、
(事実上、日銀も含めて)政府はこれ以上の円安を望んでいないのではないかと思っていた
からです。ですから、異次元緩和以上に黒田総裁の円安容認発言には驚きました。
これで、円安に歯止めがかからない可能性がでてきました。
国際的な原油価格が下がっているので、ガソリンや灯油の価格がどんどん上昇していく
という状況にはありませんが、基礎的な食料品の上昇は止まらないでしょうから、
消費が落ち込むことは避けられそうもありません。消費者の価格に対する敏感さは
さらに増すことが予想されます。上の引用では、中小企業が大企業に品物を納入する
とき、価格転嫁が進まないために中小企業の業績が伸びないとの指摘がありますが、
BtoB(企業間取引)の企業のほうがまだマシでしょう。BtoC(一般消費者向けの製品
の製造・販売や、消費者向けサービスの提供)の中小企業にとって、販売価格は低下し、
製造コストは上がることになります。BtoBでも国内販売の企業のみとの取引ならば、
BtoCの企業と同様かもしれません。この状態で、来年さらに消費税が上がるとなれば・・・
5%を8%にしたことでかなり消費が落ち込んでいますから、
10%に上げるのでさえ勇気が必要です。財政健全化のためには、もっともっと消費税を
上げなければいけませんから、将来、国民はもっともっと生活が苦しくなり、
BtoCの企業はもっともっと価格を下げざるを得なくなるかもしれません。

さて、今後、株価はどのように動くのでしょうか?
景気が良かろうと悪かろうとそんなこと関係なしに、株価は上がるときには上がるものですし、
下がる前に最も上がることもよくあることです。
「陽極まりて陰に転ず」です。
相場に従うならば、現時点では「買い」ということになります。しかし、急落する可能性が
あると思っている人も多いですから、かなり乱高下することになるでしょう。
問題は、「陰に転じた」と判断するタイミングです。そのタイミングは誰にも分かりませんが、
予期せぬ出来事には要注意です。
「陽」のなかにある小さな「陰」が全体の流れを変えるときがいつか来るでしょう。

悲観的な話ばかりしていますが、アベノミクスが成功して、日本が再び成長軌道にのる可能性がゼロである
とはいいません。総力をあげて、企業も生活者も、東京も地方もハッピーになる道を探らなければなりません。
しかし、そのためには時代を一変させるようなイノベーションが必要です。単なる成長戦略では無理です。

(図の出典)日本証券業協会 相場格言集


2014_11_08


「神は生物を進化するよう造った」 現ローマ法王も肯定(10月30日 朝日新聞デジタル)
宇宙が誕生したビッグバンも進化論も、神の教えと矛盾しない――。
ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は28日、天地創造に関する科学の理論を肯定した。
世界の高名な科学者が集うバチカン科学アカデミーでの会合で語った。
法王は「世界の始まりは混乱の産物ではない。創造主の手がビッグバンを必要とした」
「神は、自然の法則に従って進化するよう生物を造られた」などと述べた。
旧約聖書は、神が6日間で天地を創造したと記す。地動説を唱えたガリレオへの17世紀の
異端裁判などで非科学的と思われがちなバチカンだが、1950年から進化論を認めてきた。
ただ保守派の前法王ベネディクト16世は「神の創造を信仰で理解することと科学による証明は
対立しない」と述べる一方で、「進化論はすべての問いに答えてはいない」と発言した。
生命の誕生や進化に何らかの「知的計画」が働いたと主張し、米国で支持を集めるキリスト教右派
への追い風と受け止められていた。(ローマ=石田博士)

宇宙は神が造ったのか?――聖書の「科学」を調べたジャーナリストの記録 (Big Box, Little Box)宇宙は神が造ったのか?――聖書の「科学」を調べたジャーナリストの記録 (Big Box, Little Box)
(2009/11/25)
リー・ストロベル

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記事32-6、32-7でも、キリスト教と陰陽論の関係について書きましたが、
陰陽論が科学とどのくらい一致するかだけでなく、宗教とどのくらい一致しているかも気になるところです。
キリスト教の信者には、進化論を認めないという人もいるようですが、
進化論が宗教とそれほど対立しているようには思えません。
進化論で、「生物が進化して人間ができた」といっているのは、あくまでも物質的な面に限られます。
人間は物質のみで構成されるという科学的証拠はどこにもありません。
証明できていない以上、「生物が進化して人間ができた」という意味は、
「人間の肉体は生物の進化によりできた」
ということを主張しているに過ぎません。物質以外のことについて、進化論は何も言っていません。
ですから、「そうそう、人間の肉体はそうだけど、それ以外は神が創造された」と主張すればいいのです
(究極的には、物質も神の創造物のひとつであると考えるべきなのですが)。
物質が意識をつくったのか、意識が物質をつくったのか、どちらが正しいといえるでしょうか?
現代を規定する最も大きな信仰は、「物質が万物を創った」という考えかたです。
1000年後の教科書には、20世紀は「物質万能主義の時代」と記述されることでしょう。
「生物のなかで人間だけが特別だという考えかたは間違っている」と主張する科学者がいますが、
「科学で捉えられる人間が人間のすべてである」という考えかたのほうが間違っているように思います。
特に、科学で捉えられないものとして、「生命」と「意識」があります。
生命科学で捉えているものは、「生命」とつながっているときの「物質」の解明でしかありません。
科学では「生命」そのものを理解することはできません。

さて、前記事で、陰陽五行的には、人間は「物質」「生命」「意識」「人間としての実体」で
つくられていると書きましたが、この4つが一体となっていることが重要なのです。
4つが一体となったときに現れるものが人間という存在であり、分離分析してはいけません。
科学には、すぐに還元主義に陥るという悪いくせがあるのです。
つまり、複雑な事象でも、それを構成する要素に分解して、それらの一部の要素だけでも理解できれば、
元の複雑な事象全体の本質を理解できるはずだとする考えかたです。
それが全く通用しないのが、人間なのです。
ただ、物質については分離独立させて解析することができますので、物質は人間が理解できる境域
であり、それ以外は人間が理解できない領域(つまりは、神の領域)だといえるでしょう。
神の領域は、区別することはできますが分離することはできません。つまり、
「生命+意識+人間としての実体」=三位一体です。
父なる神=「生命」、御子キリスト=「人間としての実体」、聖霊=「意識」なのでしょうか?
このように考えると、人間は物質化した神であるとする考えかたも可能です。

さて、人間は「物質」「生命」「意識」「人間としての実体」で構成されるとしてきましたが、
これは目が覚めているときです。眠っているときの状態は違う形をしています。
睡眠時、わたしたちは、「物質+生命」と「意識+人間としての実体」の2つに分離しています。
そのとき、意識が潜在意識になっているため、睡眠時には無意識の状態になります。
断片的なものの一部が顕在意識のほうに入ることがありますが、これは「夢」と呼ばれます。
「物質」と「生命」がつながっていれば、目が覚めると必ず元の状態に戻ります。
一方、「物質」だけが離脱してしまえば、わたしたちは死んでしまいます。
その後、残った「生命+意識+人間としての実体」も、分解していきます。
「生命」が離脱してしまえば、もう二度と元に戻ることはできなくなります。
ところが、「生命+意識+人間としての実体」に留まった状態で、再び「物質」を
引き寄せることができれば、生き返ることが可能です(通常は起きません)。
これを「復活」といいます。

これは奇跡的なことであり、通常、わたしたちは「物質」を失うことで死に、
その後「生命」を失い、最後に「意識」を失い、「人間としての実体」だけになります。
その後、どうなるのでしょうか?いつの日か「物質」「生命」「意識」とつながり、
再び地球上に誕生するのでしょうか???


陰陽五行と死後の世界

2014_11_06


第一部 感覚の世界から霊の世界へ(第二講)  生成と消滅の感情 
~内面への旅 シュタイナーコレクション2 ルドルフ・シュタイナー著 高橋 巖訳~
(前略)生命の芽生えと死の腐敗とは、私たちのエーテル体が現実世界と結びつくとき、
互いに作用し合います。このことは、厳しい試練を意味します。なぜなら、どんな事物も、一方では
生成と萌芽の感情を持つように、そして他方では死滅の感情を持つように、と促しているのですから。
感覚世界の背後に見えるすべては、この二つの相反する根本衝動を示しているのです。
オカルティズムは、その二つを、「生成の世界」と「消滅の世界」と呼びます。
そして、その背後に「叡智の働き」があるのです(図2)。
意志の働きの背後には、叡智の働きがあるのです。「叡智の働き」と申し上げたのは、単純な理由
からです。人間が概念で捉える叡智は、通常、働く叡智ではなく、考えられた叡智です。人が意志
の働きの背後に見る叡智は、事物と結びついており、事物の世界で働いており、支配しています。
叡智が現実から離れますと、死が訪れます。叡智が流れ込むと、生成が始まります。
今、私たちの見る感覚世界を世界A、叡智の働く世界を世界Bと呼びます(図2)と、
私たちのエーテル体成分は、現象界の背後に存在するこの世界Bから取り出されました。
外に働く叡智の力は、私たち自身のエーテル体の中にも働いているのです。

生成と消滅の世界








<出典>
内面への旅 シュタイナーコレクション2
p.51

内面への旅 (シュタイナーコレクション)内面への旅 (シュタイナーコレクション)
(2003/08)
ルドルフ シュタイナー

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これまで陰陽五行論に関する宇宙の成り立ちの話を多くしてきましたが、物理学はわたしの仕事
には関係ありませんし、物理学といえば、大学のときに教養で、シュレディンガーの波動方程式
が理解できず、丸暗記して試験を受けて「可」をもらったという記憶ぐらいしかありません。
それ以来、物理学に興味はありませんでしたが、その間、素粒子物理学には大きな進展がありました。
ということで、最新の物理学を理解しているわけではないのですが、陰陽五行論を説明しようと思うと、
宇宙の成り立ちを説明するのが最も簡単なのです。そもそも陰陽五行論のもとになっている陰陽論は、
宇宙の成り立ちを説明するために考案されたものです。
現在最も普及している陰陽五行論は東洋医学に関するものですが、医学的なことは誤解されて
読者に迷惑をかけることもあるので、なかなか説明しにくいのです。
ひとつだけ言っておきますと、陰陽五行論では、わたしたちの命の中心である心臓は
「火」に属しており、体内の化学工場と言われる腎臓は「水」に属しています。
一方、宇宙の成り立ちなら、推論を言っても、他人の実生活に迷惑をかけることはありません。
ビッグバンがあろうと、宇宙が加速膨張していようと、人生に何の影響もありませんから・・・

さて、陰陽五行を精神世界に適用するとどうなるでしょうか。
物質世界に関することは客観的に判断できるので、間違っていたら誤りを正すことができます。
しかし、精神世界には物質という歯止めがないので、間違った方向にいってしまった人間を
正すことはできません。間違った方向に進んだ人間はエゴがエゴをさらに増殖させる状態に陥り、
自分のエゴを自分でコントロールできない状態に陥ります。
薬物中毒に似ていますが、薬物中毒の場合、強制的に中毒者を薬物から引き離すことが可能です。
しかし、精神世界にはまったエゴ中毒者をエゴイズムから離脱させる簡単な方法はありません。
そういった意味で、精神世界の探求は危険極まりないと言えます。
ですので、精神世界の探求は、安易に他人に勧めることはできないし、慎重であるべきなのですが、
最も安全な道は、「生成」と「消滅」の世界を知ることです。
言うまでもないことですが、「生成」と「消滅」は「陽」と「陰」に対応しています。

精神世界に入る=感覚世界を越えるということです。
シュタイナーは精神世界の大家であり多くの著作を残しています。日本語に訳された著作物も多い
のですが、シュタイナーの著作には上の引用にもある「エーテル体」という言葉が頻繁に登場します。
エーテルといっても、化学で言われるエーテル(ジエチルエーテル)とは全く関係ありません。
普通では分からない専門用語が、シュタイナーを理解しにくいものにしています。
「エーテル体」は人間の肉体が発育し、生命を維持していくのを可能にしているエッセンスです。
ですので、「生命体」と呼ばれることもあります。しかし、「エーテル体」は物質でも精神でもないので、
それ自体が何かということをこれ以上説明することは困難です。
わたしたちに理解できるのは、生命そのものではなく、物質と生命が結びついている状態です。
「物質」の象徴が「鉱物」であるとすれば、「生命+物質」の象徴が「植物」です。
わたしたちが理解できる「生命」は、物質と結びついた生命だけであり、
感覚世界では「生命とは何か」を知ることはできません。
素粒子物理学をいくら極めても、生命の本質に到達することはないのです!
陰陽五行的に考えると、「物質」は「水」に該当し、「生命」は「火」に該当します。
過去の記事で説明していますように、陰陽五行的宇宙では、「火」と「水」の組み合わせは「光」を
意味します。植物が「光」を必要とすることは、偶然の一致ではありません。また、東洋医学から
見ると、臓器のなかで最も「生命」的なのは心臓であり、最も「物質」的なのは腎臓です。
物質的な観点からみても、心臓が動いていることは生きていることの証ですが、
精神世界から見ても、心臓は「生命」を最も適切に表現している存在なのです。

「物質」+「生命」、それに「意識(感情、衝動、意志など精神活動に関するもの)」が結びついたもの
の象徴は「動物」です。そして、それに「人間を人間たらしめているもの」を加えた存在が「人間」です。
「人間を人間たらしめているもの」をシュタイナーは「自我」と呼んでいますが、自我とは何かを理解
することは容易でないので、「自我」では、人によってイメージがバラバラになってしまうと思います。
これについては、またいつか説明することにします。

元来、日本人は生成と消滅の感情を強く持っています。
「桜」と「朝日」は生成の感情の源であり、「紅葉」と「夕日」は消滅の感情の源です。
「和の心」は単なる美徳ではなく、「感覚世界を越えた何か」なのです。



陰陽五行的人間の実体

2014_11_04


国立大学から文系学部が消える!安倍首相と文科省の文化破壊的“大学改革”
(10月1日 LITERA/リテラ)
大学進学率が50%を超え、真理の探究にとりくむ象牙の塔という大学のイメージはすでに過去のものと
なった。今や大学は、そのあたりの民間企業も真っ青な、徹底した経済の論理による支配が強まっている。
しかし、まさかここまで、と関係者を震撼させたのが、最近、文部科学省が国立大学に示した方針だ。
この問題を伝えた数少ない報道である『東京新聞』9月2日付朝刊の「国立大から文系消える?
文科省が改革案を通達」と題された記事ではこう紹介されている。(中略)文科省の露骨な指示によって、
すでに国立大学での教員養成系、文系の廃止は着実にすすめられているのだ。福井県でも、県下で
たった2つしかない人文社会科学系のひとつである福井大学地域科学課程の廃止が決定し地元に波紋を
広げていると福井新聞が8月6日に伝えているところからも、事態が相当進展していることは間違いない。
「国立大学」は2004年に設置形態が変更され、国立大学法人という独立行政法人となった。
文科省のHPなどには、大学の自主性を高め柔軟な教育研究をすすめるためと謳われているが、
国からの運営費に頼らざるを得ない財政構造になっていることから、
結局、国すなわち時の政府の方針に逆らうことができないのが実際だ。
こうした、大学に市場原理が導入されカネをうまない学問を切り捨てていく流れが、
いっそう加速しているのには、もちろんあの男の登場が背景にある。
あの男、安倍首相は5月6日のOECD閣僚理事会基調演説でこう語っている。
「だからこそ、私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、
もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています。」
安倍にとって「学術研究を深める」ことなどまったく無意味で、社会のニーズにあった職業に就けるための教育
こそが必要だと考えられている。ほとんど大学教育そのもの否定である。大学の専門学校化といってもいい。
象徴的にいえば、文学部の存在意義など見い出しようのない教育観、学問観である。

憲法の「空語」を充たすために憲法の「空語」を充たすために
(2014/08/09)
内田 樹

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安倍さんの方針の多くは市場原理に基づいているので、大学も例外ではないということでしょう。
知識全般にいえることですが、いや知識に限らないことかもしれませんが、
今すぐに役立つことは、すぐに役に立たなくなるものです。
「市場は常に間違っている」というジョージ・ソロスの言葉があるくらいですから、
市場原理が万能であるという発想で政策を行うと、人間軽視になることは間違いありません。
市場はあるとき突然に潮目が変わって、今まで起きたこととちょうど逆のことが起きたりするものですが、
市場原理に合わせて教育や人材育成をすると、社会の動向に振り回され過ぎて知識の蓄積ができなくなり、
何でもマニュアルやノウハウに頼るような薄っぺらい人材ばかりを輩出してしまうのではないでしょうか?
法学部のように実学を扱っている学部では、希望者が減れば縮小していくしかないでしょうが、
文学部の場合、市場原理に合わせること自体がそもそも無理です。
哲学などその最たるもので、「お金を儲けるための哲学」って、哲学ではないでしょう。
しかし、大学が今までどおりでよいとも思えません。例えば、経営学の場合、経営者が意思決定において
経営学を用いたという話をあまり聞きません。「意味のある知識とは何か」をよく考えていただかないと、
それこそ無意味です。文系はだめだけど、理系は問題ないということでもありません。
現在、多くの企業ではITエンジニアを求めていますが、募集しても人材が集まりません。
このような状況はさらに強まっていますが、現在の大学はこれに十分にこたえているとはいえません。
一方、オーバードクターが大勢いる学科も存在して、工学部内の学科を常に見直していく必要があります。

当然ながら、安倍さんのこのようなやり方に反対する人も多くいます。
ところが、安倍さんより、安倍さんの批判をしている人の言動のほうが心配になってくることがあります。
安倍さんの批判をしている人の多くが、批判するだけで建設的なこと言ってくれないのです。
批判だけでしたらわたしでもできます!
「日本には経済成長は必要ない」といった極論を言われると、アベノミクスのほうがましに思えてきます。
アベノミクスの問題点は「目先のお金に目が眩んで、将来の持続的な利益を失うことになるのではないか」
ということであり、お金のことは考えなくてよいということではありません。「陰」と「陽」にはバランスが
必要なのですが、市場原理主義という「陰」に対抗する「陽」となるべき核がありません。
「市場原理主義はダメだ。みんなが平等に収入を得ることができる社会をつくります」と言われると、
「何をしても給料が同じということでしたら、仕事は適当にしておきます」ということになります。

陰陽の対立は万物の原理です。
陰と陽は隣合うことを好み、逆に、陰と陰、陽と陽は隣合うことを避けようとします。
正または負の点電荷があるとき、その周辺には、光子のもとになる「火水」がつくられます
(陰陽五行的光子については、記事33-4をご覧ください)。
正と負の点電荷が両方あるとすると、下の図のように「火水」が配置されます。
正と負の点電荷の中間点では必ず陰と陽が隣合うことになりますが、隣合った陰と陽は重なり合って
消滅しようとします。実際に隣合った陰と陽が重なり合うと、2つの「火水」が1つになります。
「火水」が消滅すると「火水」全体の再配置が起こって、再び、陰と陽は隣合うことになります。
このような状態では、常に陰陽を消滅させようとする力=「引力」が働きます。
正同士または陰同士の点電荷があるとき、点電荷の中間点では必ず陽同士または陰同士が隣合う
ことになりますが、隣合った陽同士または陰同士の間隙に、新たな陰陽が生成しようとします。
実際に点電荷の中間点に陰陽が生まれると、瞬時に一対(二つ)の「火水」が生成します。
「火水」が生成すると「火水」全体の再配置が起こって、再び中間点の間隙に陰陽が生まれようとします。
このような状態では、常に陰陽を生成させようとする力=「斥力」が働きます。

このように考えると、「市場は常に間違っている」というソロスの言葉には、「奥深さ」を感じます。
「間違っている」市場には「間違いを正そうとする力」が働きます。
しかし、間違いを正そうとしても、間違いが完全に正されるわけではなく、間違いを正そうとする
ことで、市場はさらなる大きな間違いをしてしまうこともあり、市場には常に間違いが残ります。
ゆえに、市場には、常に間違いを正そうとする力が働きます。
市場に変動がある限り、常に間違いを正そうとする力=市場の活力が常に生まれているのです。


陰陽五行的引力と斥力

2014_11_02


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書籍の紹介

龍女「みなみ」からあなたへの
不思議なメッセージ集
新感覚のファンタジー!!

書籍表紙

不思議の国の「みなみ」
 宇宙へつながる秘密基地

「みなみ」 今月のメッセージ

神津島の天上山は、
神が集う島のなかでも、
特に神の集まるところ。

プロフィール

舞尾 空

Author:舞尾 空
・性別:男
・年齢:46歳
・職業:サラリーマン
・血液型:O型

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