同聚院 内容概要 (京都観光Navi:同聚院) 
臨済宗東福寺派に属し、東福寺塔頭(たっちゅう)の一つである。 東福寺の寺地一帯は、
平安時代中期・延長2年(924)頃に藤原忠平が法性寺(ほっしょうじ)を建立した所で、寛弘3年
(1006)には藤原道長が40才の賀にあたって五大明王を安置する五大堂を境内に造営した。
法性寺はその後も藤原氏が造営に力を入れたが、鎌倉時代初期には衰微し、
その故地に九條道家が東福寺を建立したのである。本寺は藤原道長が建立した五大堂の遺跡で、
五大明王のち中尊不動明王坐像が幾多の災害をこえて本寺にまつられている。
像は仏師定朝の父・康尚の作品で、像高265センチの巨大なもの。
忿怒(ふんぬ)相の中にも優美さをたたえた藤原美術の代表彫刻の一である(重要文化財)。
世に「じゅうまん不動(じゅうまんふどう)」と称され毎年2月2日「じゅうまん」の字を書いた屋守護が
施与される。「じゅうまん」は「土力」(土地の守護)又は「十万」(十万の眷属(けんぞく)を従える)
の2字を一字にした文字といわれ、火災除けをはじめ除災の霊験あらたかな不動として信仰が深い。
東山区本町15丁目(東福寺内)

京都紅葉
左から、醍醐寺、東福寺、大覚寺

京都に紅葉を見に来られるかたは大勢いますが、醍醐寺、東福寺、大覚寺のすべてに行く人は
あまり多くないでしょう。場所がバラバラですし、この3つの寺に行く必要性もありません。
しかし、この3つの寺には意外な共通点があるのです。

古来、日本の陰陽道では、北東の方向を「鬼門」と称して万事に忌むべき方角としていますが、
もともとの陰陽論としては、必ずしも忌むべき方角ではありません。
それより重要な方向は、天門と称される乾(いぬい)の方角です。つまり北西です。
(なぜ、乾が北西なのかはここでは考えないことにします)
乾も、怨霊、災いが出入りする方角であるとして、忌むべき方角とされていますが、
この天門を鎮めることが、個人、組織、都市や国家にとっても繁栄にかかわる重大事なのです。
京都という都市で考えてみますと、天門に当たる方向にあるのは隠岐です。
「清き水も淀めば腐る」と言われるように、流れをせき止めないことが重要であり、
隠岐からの「気」の流れを京都に留まらせないためには、流れの受け手が必要です。
そこで、「気」の流れをよくするために造られたのが、伊勢神宮なのではないでしょうか?
伊勢神宮は京都の気の流れを促進しているのです。
よって、現在の地図を見ると、隠岐と伊勢神宮を結ぶライン上に京都があることになります。
伊勢神宮を創建するときには、陰陽師的な人が場所を定めたのではないかと思われますが、
陰陽師には、隠岐から流れる気のラインが明確に見えていたと推察されます。
それを知ったうえで伊勢神宮を建てたとすれば、伊勢神宮の上に隠岐から流れる「気」のライン
があると考えられますが、「気」の発信源である隠岐は広いので、そのラインがどこにあるのかを
明確にすることができません。隠岐は島全体が「気」で満ちているので発信源が特定できません。

そこでこのラインを確定させるために、京都府亀岡市にある天照皇大神社に着目しました。
この神社が隠岐と伊勢神宮を結ぶライン上につくられたという証拠はないのですが、
これを仮説として検討してみます。天照皇大神社の北西にある、京都府南丹市の護国寺も
このライン上にあります。南東の端は、伊勢神宮の内宮(遷宮するので、その中間にセット)
にします。現在では、正確に2点間の最短ラインを決定することができます。
隠岐から伊勢までくらいでしたら、地図上の直線も、実際の直線(最短コース)と
それほど違わないのですが、敷地のどこをこのラインが通っているのかを確認するためには、
最短コースをラインとして表記する必要があり、大圏航路がほぼそのラインに一致します。
そして、この隠岐-伊勢神宮ラインを正確に調べてみますと、
ラインの真上にあるのが醍醐寺、東福寺、大覚寺です。
下の図を見ていただければ分かりますが、 隠岐-伊勢神宮ライン上のそばに、
醍醐寺、東福寺、大覚寺があるというのではありません。敷地のど真ん中にラインが走っています。
大覚寺は、空海が五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったのが起源とされています。
また、醍醐寺は空海の孫弟子にあたる聖宝が開山したことがはじまりで、五大明王が安置されている
ことで知られています。五大明王についてはここでは詳しく触れませんが、密教に関係したもの
であり、大覚寺、醍醐寺は真言宗のお寺ですから、真言密教に関係したものであると考えられます。
密教は秘密の教えですから、その内容は明らかではありません。
しかし、五大明王の由来には、「五行」がなんらかの形で関係しているのではないでしょうか?
これに対して、東福寺は禅のお寺であり、五大明王とは無縁であるように思われますが、
上の引用にありますように、ここには東福寺が建てられる以前に法性寺というお寺があって、
ここに五大明王が安置されていたのです。
京都で五大明王と言えば東寺が有名ですが、後は、大覚寺、醍醐寺ぐらいで、
五大明王が安置されているお寺は非常に珍しい寺なのです。
上の引用で紹介しました、東福寺塔頭である同聚院には五大堂があるのですが、
不動明王以外は失われているので、祀られているのは不動明王だけです。
昔は、ここで示した隠岐-伊勢神宮ラインを確認することはできなかったのに、
このように五大明王のある寺がこのライン上にぴったりのっかっているのです。
これは、このラインを感じる人がいたからではないでしょうか?
そしてその人は、陰陽五行に詳しかったと思われます。

ちなみに、この隠岐-伊勢神宮ライン上には京都駅があります。
しかも、新幹線のホームにいたっては、ど真ん中を通っています。これは、たまたまなのでしょうか?

伊勢隠岐ライン

大覚東福醍醐寺
隠岐-伊勢神宮ラインの表示には「Googleマップで大圏航路を表示する」を使用しています。
図中のピンク色のラインが大圏航路です(地図の出典はgoole)


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2014_11_30


素〝粒子〟という虚構 素粒子の実態が語られないわけ
~素粒子論はなぜわかりにくいのか 吉田伸夫著~
科学はいつも順調に発展しているわけではない。打開策が見つけられないまま、
いろいろな仮説を試すトライアル・アンド・エラーの時期が長く続いたり、
誤った仮説の袋小路に入り込んで、学界全体が停滞したりすることもある。
場の量子論も、1929年に最初の枠組みが作られた時点ですぐに受け容れられたわけではない。
以上にわたる紆余曲折の末、ようやく定説としての地位を確立したという経緯がある。
場の量子論が受け容れられなかった大きな理由は、この理論を使ってどのような物理現象が起きるか
を調べようとしても、計算の途中で積分が無限大になってしまい、答えが得られなかったためである。
積分が無限大になるのは、きわめて狭い範囲で瞬間的にエネルギーをやりとりする相互作用が
存在するからである。積分が無限大になるのは、きわめて狭い範囲で瞬間的にエネルギーを
やりとりする相互作用が存在するからである。空間と一体化した場は、電磁場・電子場・クォーク場・
グルーオン場・ヒッグス場など何種類もあり、多数の場が同じ地点に重なって存在して相互に影響を
及ぼしあう。こうした複数の場が狭い範囲で瞬間的に行う相互作用の効果を計算しようとしても、
有限な値が得られないのである。この計算不能という問題は、1940年代の繰り込み理論、
1960年代のゲージ対称性とその破れの理論によって克服されるが、そこに至るまでの間、
場の量子論を使ったのではまともな計算ができなかった。このため、場の量子論は使い物にならない
ダメ理論だと見なす物理学者も少なくなかった。
場の量子論によって何らかの計算ができるのは、場同士の入り組んだ相互作用を無視したときである。
ところが、場の相互作用を無視すると、素粒子が粒子ではなく場の振動状態だという特徴は、
ほとんど表に現れない。その結果、現実に場の量子論が応用される範囲では、
素粒子は粒子として扱うことができ、場の概念は必要とされないという皮肉な状況が生じた。

素粒子論はなぜわかりにくいのか (知の扉)素粒子論はなぜわかりにくいのか (知の扉)
(2013/12/05)
吉田 伸夫

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研究ではよくあることですが、何かひとつの要因についてどれだけ詳細な議論をしても、
他の要因の影響を無視できない場合、現実と全く乖離してしまうことは珍しくありません。
異なる構成要因に関する多数の相互作用が存在する系については、細分化された学問体系では
カバーできません。人間や社会が関係する分野では特にそうなのではないかと思います。
特定分野については専門家に聞けば教えてくれますので、聞いたり調べたりすることが可能
ですが、その分野を越えることについては無視してしまうことになります。
わたしたちが本当に磨かなければならない能力は、
要素と要素の「つなぎ」を知るということにありますが、
それを教えてくれる人は非常に少ないように思います。「つなぎ」を理解すれば、そのうえで、
特に焦点を当てるべきであると判断される部分について、詳細に検討すればよいのです。
厳密な論証が可能である物理学においてでさえ、場同士の入り組んだ相互作用を考慮することは
容易ではないようです。もし、どんなに入り組んだ要因でも、解きほぐして検討することができるの
でしたら、生物についても物理的に説明できるはずです。
要因が複雑に絡み合った領域における相互作用を
知ることは、今後の大きな課題になるでしょう。

  <図の出典>ウィキペディア "gluon"
    ↓             さて、素粒子においても、「つなぎ」は重要です。
グルーオンの生成ですので、グルーオンの実態解明の研究は盛んです。
(ちょっと話の変えかたが強引だったでしょうか)。
物理学的には、素粒子をわたしたちが考えるような
「粒」と考えるといろいろな不都合を起こすようですが、
陰陽論では、何もないところから「陰陽」が生まれたり、
「陰」と「陽」が衝突して消滅したりしてもOKですので、
素粒子の生成・消滅については不思議ではありません。
ただ、クォーク、電子、ニュートリノなどフェルミ粒子と言われる素粒子とは異なり、ゲージ粒子と
言われる光子、ウィークボソン、ヒッグス粒子については、単に「四象五行」の形で説明するには
ちょっと無理があります。ここで説明するグルーオンもその仲間です。陰陽五行的に考えた場合、
これらの粒子について共通しているのは、2層構造をしているということです。
光子では波動の部分と、粒子の部分。ウィークボソン、ヒッグス粒子については内側と外側、
そして、このグルーオンについては上と下の層で構成されています。
2つの部分が別々に回転することが可能で、スピンが1/2である粒子が2つ重なりあって、
スピンが-1、0、1になっていると考えることができます。
下の図に、考えられるグルーオンの形を示してみました(まだパターンがある)。
「地」の部分は、光子と同様で、陰と陽が高速に変換していると考えてください。
つまり、「地」の部分は時間平均的には0とみなすことが可能で、「地」を無視して考えれば、
ひとつの層については、四象の破片のうち2つの破片がくっついた形をしています。
この2つの破片には、「地」の向かい側と「地」の隣側の2つの場所があり、
それぞれは区別して考える必要があります。二層の上下については、反転可能です。
二層を合わせると4つの破片でできていますが、ひとつの層は2つの破片でできているので、
真空における抵抗はない(つまり質量は0)とみなすことができます(グルーオンの質量はない)。
ひとつの層には電荷がありますが、二層を合計すると電荷は0です(グルーオンの電荷はない)。
質量が0、電荷が0ですから、エネルギー状態によってどこにでもグルーオンが生まれます。
「地」の振動がある環境はグルーオン場になります。
まだ考えなければならないことがたくさんありますが、それについては次回以降、折に触れて・・・


グルーオンの例


2014_11_28


外宮の謎 外宮の創建 ~伊勢神宮の謎 稲田智宏著~
伊勢神宮を参拝するときは、まずはじめに外宮を詣で、次に内宮を詣でるしきたりになっている。
神宮といえば天照大神とその大神が祀られる内宮ばかりを意識し、外宮に参らない人も多いようだが、
わずか五キロほどしか離れてなくバスも巡回しているので、なるべく古来の考えに則して外宮内宮の順
でお参りしてもらいたいものだ。そして参拝すると、どうしてもひとつの疑問が湧いてくる。
なぜ内宮と外宮という大規模なふたつのお宮があって、そのふたつを神宮として崇めているのか。
内宮が尊ばれているのはわかる。皇室の祖先神で最高至貴の神とされる天照大神を、
三種の神器の八咫鏡を御神体として古くから祀っているからだ。
では外宮はどのような神がどのような由来で祀られているのだろう。
真偽はともかく、内宮の創建は『日本書記』に垂仁天皇の時代のことと伝えられる。
『古事記』にも、創建については記述はないとはいえ、倭姫命をはじめとする斎宮が奉仕していた
ことは語られている。ところが外宮に関しては、記紀に明確な記述はない。(中略)
ただ、豊受大神を伊勢に祀る理由は語られているとはいえ、ほとんど何も語っていないに等しい。
二柱の相殿神が内宮鎮座の当初から祀られていたのかどうかは不明としても、食事の神を
呼び寄せる理由としてはなんとも不可解で、まあ神がそのように要求したのならそうなのだろうと
理解するしかない。(中略)そして前の託宣に続き、天照大神は次のようにも託宣している。
「祭祀を行うときは、豊受神宮を先にして、その後で私の宮に仕えなさい」。
つまり神宮における祭は内宮よりも外宮を先に行うように、と天照大神が指示したということで、
現在でも恒例の祭祀は外宮が先に行われている。これを外宮先祭といい、
外宮から先に参拝するというしきたりもこのことに由来しており、また外宮が地元の神ゆえに
外来の内宮に先んじて祭祀がなされるのだとも指摘されている。(中略)
内宮と外宮はその名称ばかりでなく、対義的に造形されているところもあって、内宮の参道は
左回りで外宮は右回りに進む。正殿の屋根の両端に交差して突き出ている千木は、
内宮ではその先端が水平に切られ(内削ぎ)、外宮では垂直に切られている(外削ぎ)。
また内宮では扉は内開きで、外宮では外開きとなっている。
さらに内宮の参道は右側を歩いて外宮では左側を歩く決まりだが、これは内宮では五十鈴川の
御手洗場が右側に位置していることにもよっている。

伊勢神宮の謎伊勢神宮の謎
(2013/06/25)
稲田 智宏

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伊勢神宮に参拝したことのある人のなかでも、内宮にしか行ったことがない人が結構多いのでは
ないかと思われますが、本来は、外宮に参ってから、内宮に行くのが正しい参拝法のようです。
バスツアーなどで直接、内宮に行かれる場合は外宮に立ち寄るのは簡単ではありませんが、
電車の場合、伊勢市駅(JRと近鉄共用)で降りれば、歩いて外宮に行くことができます。
外宮参拝後、外宮を出たところにある停留所からバスに乗れば、内宮に行くことができます。
伊勢神宮が不思議なのは、内宮と外宮をあわせてひとつの神社としているところです。
内宮と外宮は5キロ離れていますので、同じ神社という感じはしません。
本宮と奥宮ということでしたら理解もできますが、それでしたら外宮のほうが本宮になり、
内宮・外宮ともに同じ神様を祀るべきでしょう。外宮が単なる食事の神様ということなら、
外宮を内宮の別宮にすればいいようにも思うのですが、そうでもないようです。

内宮、外宮と言うのはなぜなのでしょうか?ここでは外宮について、陰陽五行的に考えてみます。
伊勢市駅から歩きますと表参道のほうを通って正宮に行くことになりますが、外宮の別宮である
月夜見宮のほうから歩きますと、北御門口側にある火除橋を通り、忌火屋殿の前を通って、
正宮へ向かいます。「忌火(いみび)」とは、「清浄な火」ということで、御火鑽具(みひきりぐ)を用いて
清浄な火をきり出し、この火を使ってお供えものを調理します。その横に正宮があって、
豊受大神が食事の世話をする神であり、食事の支度には火が欠かせないことから、
正宮(北側)は「火」と考えるべきでしょう。外宮の境内にある別宮は、多賀宮、風宮、土宮です。
そのなかで、多賀宮は第一の別宮であり、豊受大神の荒御魂(あらみたま)を祀っています。
荒御魂とは、神様の荒々しい面を示しており、天災や病疫など神の祟りとして恐れられるような意味合い
を持っています。ただ、新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂ともされます。
一方、その逆が和御魂(にぎみたま)であり、恵みをもたらしてくれたり、人々を助けてくれたりという、
神のご加護的な側面を意味しています。多賀宮が豊受大神の荒御魂なのですから、
正宮は豊受大神の和御魂を祀っているということでしょう。ですから、正宮と多賀宮は陰陽の関係
にあると考えれば、正宮の「火」に対して、多賀宮は「水」ということになります。
多賀宮は外宮の神社のなかで最も南側にありますが、南側には下御井神社もあります。
下御井神社は上御井神社に何かがあったときに水を汲んで正宮にお供えする神社です。
この点から考えても、下御井神社も含めて、多賀宮のある南側は「水」を意味していると考えられます。
荒御魂が「水」に属していることは、日本にとって宿命的なことなのかもしれません。
津波、洪水(による土石流)など水の力は、人間の力を越えています。実際のところ、
日本では「火」(噴火)も恐怖であり、「地」(地震)も、「風」(突風)も恐怖なのですが・・・
東側にあるのが、風宮です。祭神は風をつかさどる神である、級長津彦命、級長戸辺命です。
農業に関係の深い、風と雨の順調を祈る宮です。つまり、東側は、「風」です。
風宮の向かい、つまり西側にあるのが土宮であることから、西側は「土」ということになります。
この他、外宮には四至神(みやのめぐりのかみ)という神様がいて(内宮にもいます)、外宮の四隅、
東西南北を守っているとされています。四至神は宮廻り神で外宮の神域の周囲を守る神なのですが、
本来の意味は誰にも分からなくなっているものと思われます。
どうして、東西南北を守る必要があるのでしょうか?これは、陰陽五行的には重要な意味があり、
「四象」の形状を創りだしている神様なのではないでしょうか?
ですから、四至神はパワースポットなんかではありません
(逆に、さらに煽っている感じもしないでもありませんが・・・)。

さて、この結果、どうなるかと言いますと、外宮が意味しているものは、
下の図(右)に示したような四象(五行)の配置になります。
これは「火土風水」(-4)であり、記事34-2にある「火金木水」(+4)で示される
アップクォークの反粒子になっていますので、反アップクォークです。
つまり、外宮には反アップクォークが隠されています。
なぜ、外宮のなかに反アップクォークが創りだされているのか?
対生成で、世のなかにアップクォークを供給しているとでも言いたいのでしょうか?
なんだか、より謎が深まったような感じがしてきました。そんなちょっと考えたくらいで、
伊勢神宮の秘密が解き明かされるなんてことはありません(言い訳)。


外宮の秘密
  ↑(イラストマップの一部)
<図の出典> 伊勢神宮 > 神宮の歩き方 > 豊受大神宮(外宮)イラストマップ


2014_11_26


解説 易の成立 ~易経(上) 高田真治・後藤基巳訳~
原始民族が呪術を以って神意を測度(そくたく)したことは、各国の原始民族に通有した現象
であるといってよい。ことに東北アジアを中心として行われたシャーマン的呪術は、ひとりアジアで
行われたのみならず世界各地に同型のものを見出し得るのであるが、これが古代において
巫または巫覡(ふげき)として行われたことは、現存の文献によって明知せられるところである。
この巫の原始的状態がシャーマニズムに属するものであったと思う。卜占も呪術の種類に属して考え
られるべきものである。このシャーマン的呪術と易との関係に易の成立を暗示するものがありはせぬか。
白鳥清氏の説に拠ると、左伝や史記等に記されている豢竜(けんりょう)氏とか御竜氏とかまたは
畜竜(ちくりょう)氏などというものは、雨神竜を御する巫祝、天の精霊を御する雨師、天意を民衆に
伝達通告し天の霊声を聞知し得るシャーマンであると考えられている。
同氏はまた竜の本体を推究して、竜はそのはじめは天上天空に棲息して雨をつかさどる想像された
精霊すなわち雨神が、時代を経過するに従って雨乞い儀式に使用された動物を模写し、ついに後世
絵画彫刻に見るような竜態が構成されたのであって、豢竜氏・御竜氏・畜竜氏などという巫祝は、
単に天空の雨神竜を左右するシャーマンの意味でつけられた名称であるのみでなく、他方において
雨神竜と相通ずる能力を持つと信ぜられた爬虫類(カッコ内省略)を実際に畜養していた巫祝である
としている。この説は易の成立にすこぶる興味のある示唆を与えるものである。
司馬貞補史記三皇本紀には、伏羲(易の創始者)のことを記して「蛇身人首にして聖徳あり」、
「竜瑞有り、号して竜師と曰(い)う」といっている。「蛇身」といい「竜瑞」といい「竜師」という
のは、明らかに雨竜神と関係があることを思わせるものであって、これらの一見荒唐無稽のように見える
伝説の中にもなにものかの確実な伝統が流れ来ていることを思わせるものがあるのである。
さきの文によると伏羲は太古における雨神竜を御するシャーマンであったことが想像されるであろう。
(記事35-3に本の紹介をしている)

シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズムシャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム
(2001/08)
アーノルド ミンデル

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シャーマンとは、神仏・精霊などの超自然的存在と直接接触・交流・交信する人のことであり、
古代日本ではシャーマンとしての巫女の存在が知られています。最も有名な人は「卑弥呼」でしょう。
今でいう霊能者のようなものでしょうが、現在では、霊能者=ペテン師と思ってほぼ間違いないでしょう。
もし本物のシャーマンがいたとしたら、人間と神様の間に、無限ともいえる階層を感じるでしょう。
わたしたちの悲しいところは、わたしたちが何を知らないかを知っていないことであり、
知らないものは存在しないものとして考えてしまいます。しかし、個人的意見を言わせてもらうと、
知らないものは「無限に存在する」と仮定したほうが、
真実に近づけるように感じます(真実に到達することは永遠にできないのでしょうが)。
そのように考えれば、人間と神様の間にある無限の階層を感じることができるかもしれません。
霊能者のなかには何らかの存在とコミュニケーションがとれる人がいるのではないかと
思われますが、そのほとんどが、神様と遠ざかる方向にアクセスしているものと思われます。
一言でいうと、気が狂っているか、自分の欲望を何かに投影しているのです。
天国と地獄が本当にあると思ってください。「あなたは天国に行きたいですか?」と聞かれれば
「天国に行きたい」とほとんどの人が答えるでしょう。
龍女である、不思議の国の「みなみ」ちゃんがこれに答えてくれるとするならば・・・

「ほとんどの人にとって、地獄に行ったほうが絶対いいと思うわ。
天国は楽しくないでしょう。天国には欲望を満たすものが何もないのよ。
欲求不満になって天国を抜け出すでしょう。地獄にはあなたがたの欲望に
合った様々な領域があるので、自分に合ったところを選べるわ。」

・・・なんてね。
もしそうなら、はじめから地獄に行ったほうが賢明かもしれません?自分に合った地獄に??
ただこれは宗教的には大問題です。悪いことをしたら、苦しみの世界である地獄に行かされると
いうことではなく、死後は自分のレベルに応じた地獄で楽しみましょうということでしたら、
「生きている間に悪いことをしたら地獄でひどい目に遭うから、悪いことをしてはいけない」
という脅しがなくなってしまいます。これでは、地獄が地獄の役目を果たしません。

さて、前記事の続きで、ニュートリノの世代について考えてみたいと思います。
(本記事の下の図だけなく、前記事の下の図もあわせてご覧ください)
クォーク、電子、ニュートリノのすべてにおいて、世代は3つあります。
第一世代は、四象(五行)のみの状態です。これまでの記事を見ていただくと分かると思いますが、
光子(粒子としてみたとき)<ニュートリノ<電子<アップクォーク<ダウンクォークの順に、
面積が大きくなっており、これがそのまま質量の順番になります。
第二、三世代ではそれぞれ、四象(五行)にZボソンが一つ、二つ付加した形になります。
Zボソン(Wボソンも同様)はコアを持った球で、大きな体積を持ちます。
よって、Zボソンは、平面構造の四象(五行)よりも、はるかに大きな質量を持ちます。
Zボソンが付加した第二、三世代のクォーク、電子は、Zボソンと同等かそれ以上の大きさを
持ちそうなものですが、クォーク、電子が電荷を持っているために、Zボソンは四象(五行)に
ひきつけられて、体積が小さくなります。ですから、第二、三世代のクォーク、電子は、
Zボソンほどの質量を持ちません(ただし、トップクォークを除きます)。
クォーク、レプトンに付加するZボソンは、内側が電子で、外側が陽電子という構造をしており、
四象(五行)が負の電荷を持っているとき、Zボソンの外側の陽電子が四象(五行)に大きく
引き付けられます。四象(五行)の電荷が正ですと、Zボソンの内側にある電子は四象(五行)に
引き付けられるのですが、陽電子のほうはそれほど引き付けられません。ですから、
第二、三世代のクォークでは、第一世代とは異なり、負の電荷を持ったストレンジクォーク、
ボトムクォークのほうが、同世代で比較すると質量の小さなほうのクォークになります。
電子の場合は、ダウンクォークよりさらに、Zボソンの外側の陽電子が四象(五行)に大きく
引き付けられることになるため、クォークほど大きな質量を持たないと考えられます。
正の電荷を持った第三世代のクォークであるトップクォークは、Zボソンの外側の陽電子が
かなり大きく広がるため、Zボソン単体の質量を越えることになります。

では、ニュートリノの場合はどうか?
ニュートリノには電荷がないので、Zボソンが付加しても、Zボソンが四象(五行)に引き付けられる
ことがないため、第二、三世代のニュートリノはZボソンかそれ以上の質量を持ちそうなものです。
いや、逆に、ニュートリノにZボソンが付加する力がないようにも思われます。
しかし、実際にはそうはなっていません。その理由は、ニュートリノとZボソンが反応するからです。
つまり、ミューニュートリノ、タウニュートリノは安定的に存在できる状態ではないということです。
例えば、ミューニュートリノの分解について考えてみます。ニュートリノがクォークや電子と違うのは、
ニュートリノがZボソンと反応することです。ZボソンはWボソンとWボソンの複合体に分解する
状態を持っており、四象(五行)のニュートリノがZボソン内に入ると、Wボソンの外側にある
反電子ニュートリノと対消滅し、続いて、Wボソンの内側にある電子がWボソンの外側にある
陽電子と対消滅し、電子ニュートリノが残ります。電子ニュートリノも安定的な状態ではなく、
逆の反応も同様に起こり、電子ニュートリノがWボソンとWボソンの複合体を生み出して、
その複合体から四象(五行)のニュートリノが生まれて、ミューニュートリノになります。
同様の機構で、タウニュートリノも生まれます。しかし、四象(五行)のニュートリノに付加
できるのは、ニュートリノの上部と下部の二ケ所ですから、ニュートリノも三世代までに限られます。
説明しましたように、ニュートリノだけは三世代が平衡状態
にあり、どの状態も安定的ではありません。

ニュートリノのエネルギー状態に応じて、世代の存在比は変化するものとも思われます。
ヒッグス場においては、場からできるだけ抵抗を受けないように、ニュートリノの状態は
最適化されますので、ニュートリノの質量は常にほぼ0であるといえるでしょう。


ニュートリノ三世代


2014_11_24


※三才 (Yahoo!ジオシティーズ 元亨利貞by乾陽子 > 陰陽 > 3.四象・八卦)
三才とは天地人のことで、陰と陽と中です。天地の間で常に万物が循環するというのが
三才の理で、一陰一陽は各々偏った存在ですが、中がその陰陽を備えることによって和します。
「天の時、地の利、人の和」といいますが、人が和すときは天地も和して万物が育ち、
全てがうまくいくということです。
宇宙の万物を象徴した天地人三才は、生け花、茶の湯、書道などの日本の伝統文化にも深く
根づいていますが、易は、この天地人三才の道を陰陽の変化をもってあらわしたものともいえます。
繋辞伝には、「易の書たるや広大悉く備わる。天道有り、人道有り、地道有り、三才を兼ねて
之を両にす。故に六なり。六とは它に非ず、三才の道なり」といわれています。
小成の一卦が三爻で構成されるのもこのことによるものです。
また、六爻を以てあらわす大成の卦も、やはりこの三才思想にのっとったものです。
三才






<図の出典>
正課 課文分享 > 易經(第一講)


古代中国では、孫子が、「天の時と地の利を得て戦えば、常に勝利する」と言い、
孟子が、「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。」と言ったそうです。
どんなにタイミングが良くても、良い環境には勝てない。 また、どんなに良い環境でも、
人心が一つになっていることには勝てないということを、孟子は主張しているのでしょう。
孟子の主張することも、分からなくもないのですが、孫子の主張のほうが現実的です。
「天の時」と「地の利」があれば、勝ち戦になる可能性はぐっと高まります。
勝ち戦になれば、個人のモチベーションも上がりますし、団結力も高まります。
その逆が、今の野党です。敗戦濃厚では、人の和は期待できません。離合集散は必定です。
与党になる気がないと、「分厚い中間層を再生させる」などとできもしないことを平気で言えます。

三才思想で大切なことは、天道、人道、地道のどれも無視できないということです。
どれかひとつだけを強調してはいけません。
「頑張れば、できないことはない」という言い方をする人がいますが、本当にそうでしょうか?
世のなかは、頑張ってもできないことだらけといってもいいのではないでしょうか?
日本の社会は、努力を強調しすぎているように思います。
例えば、スポーツ選手が大活躍すると、その人は必ず「努力家」と賞されます。
「頑張らなければ成功できない」と「頑張れば成功できる」を混同してはいけません。
「錦織選手以上の努力をすれば、僕も世界で通用するテニスプレイヤーになれるかな?」
多分、無理だと思います。あまりにも確率が低すぎます。

かといって、「天の時と地の利」にすべてを賭ける姿勢も考えものです。
西洋の占星術がデタラメな理由として、「同じ誕生日の人の人生が同じではない」
という人がいますが、占いの基本として、それは当たり前です。
占いは、「天の時と地の利」には言及しますが、「その人の努力」については関知しません。
一体、占いに何を期待しているのでしょうか?
自分でできることはやった。後は、「天の時と地の利」が我にあらんことを願うのが正常な考えで、
「何もしてないけど、何か良いことは起きないかな」と聞かれれば、答えは簡単です。
「占い以前の問題として、それはないでしょう。」
占わなくても、答えは出ています。「人並みの努力なら、人並みの結果です。」

易において八卦は三つの爻で示されますが、これは、宇宙というものは、3つの異なるものが
合わさってひとつの実体を創っていることを示しています。これは、易の根幹です。
そして、(六十四)卦は、内卦と外卦という2つの八卦で構成されていますが、
これも二つの爻をセットにして、3つの異なるものが合わさってひとつの実体を創っています。
さて、素粒子についても、同様のことが言えるのではないでしょうか?
宇宙において、3つの異なるものが合わさってひとつの実体を創ることが可能であることは、
クォークやレプトンの世代が3つであることに示されています!??
一番下の図に、具体的な素粒子の三世代構造を予測してみました。この予想には、
体積が大きいものほど質量が大きいという特徴があります。
素粒子の質量これだけ言っておいて、クォークに第四世代が
見つかったりすると・・・困ったことになります。
本当に三世代までしかないことを祈るのみです。
詳しい説明の前に、当然疑問に思われる
でしょうから、先に言っておきますと、
「たとえクォークと電子がそうなのだとしても、
 ニュートリノだけははどうして、
 すべての世代で質量がほぼ0なの?」
ごもっともです。
それも含めて次回に・・・

←<図の出典>キッズサイエンティスト >
       やさしい物理教育 > 素粒子の世界
        > ヒッグス粒子と質量


クォーク三世代

2014_11_22


易経 “易経”.ウィキペディア日本語版. 2014-08-24. (参照 2014-11-17).
『易経』(えききょう、正字体:易經、拼音: Yì Jīng)とは、古代中国の占筮(細い竹を使用する占い)
の書である。符号を用いて状態の変遷、変化の予測を体系化した古典。中心思想は、陰陽二つの
元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。著者は伏羲とされている。
中国では『黄帝内經』・『山海經』と合わせて「上古三大奇書」とも呼ぶ。
(以下一部抜粋)
概要>三易の一つであり、太古よりの占いの知恵を体系・組織化し、深遠な宇宙観にまで
昇華させている。今日行われる易占法の原典であるが、古代における占いは現代にしばしば見られる
軽さとは大いに趣きを異にし、共同体の存亡に関わる極めて重要かつ真剣な課題の解決法であり、
占師は政治の舞台で命がけの責任を背負わされることもあった。
書名>なぜ『易』という名なのか、古来から様々な説が唱えられてきた。ただし、「易」という語が
もっぱら「変化」を意味し、また占いというもの自体が過去・現在・未来へと変化流転していくものを
捉えようとするものであることから、何らかの点で ”変化” と関連すると考える人が多い。
有名なものに「易」という字が蜥蜴に由来するという ”蜥蜴説” があり、蜥蜴が肌の色を
変化させることに由来するという。また、「易」の字が「日」と「月」から構成されるとする
”日月説” があり、太陽と太陰(月)で陰陽を代表させているとする説もあり、
太陽や月、星の運行から運命を読みとる占星術に由来すると考える人もいる。
『易経』の構成
現行『易経』は、本体部分とも言うべき(1)「経」(狭義の「易経」。「上経」と「下経」に分かれる)と、
これを注釈・解説する10部の(2)「伝」(「易伝」または「十翼(じゅうよく)」ともいう)からなる。
(1)「経」には、六十四卦のそれぞれについて、図像である卦画像と、卦の全体的な意味について
記述する卦辞と、さらに卦を構成している6本の爻位(こうい)の意味を説明する384の爻辞
(乾・坤にのみある「用九」「用六」を加えて数えるときは386)とが、整理され箇条書きに収められ、
上経(30卦を収録)・下経(34卦を収録)の2巻に分かれる。
「経」における六十四卦の並び方がどのように決定されたのかは現代では不明である。

六十四卦配列
←<出典> 易教ネット
(図の詳細は出典元を
 ご覧ください。
 上の”易経ネット”を
 クリック。)



卦の対称性

易経〈上〉 (岩波文庫)易経〈上〉 (岩波文庫)
(1969/06/16)
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易経〈下〉 (岩波文庫 青 201-2)易経〈下〉 (岩波文庫 青 201-2)
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どうして、『易経』において、卦を上の図(左)のように並べたのでしょうか?
順序に関する規則性について唯一分かることは、上下に並べると線対称になる卦が隣り合っていること
です。しかし、それ以外は卦をランダムに並べたとは思われません。必ず何か法則があるはずです。
『易経』の分編は上経が30卦、下経が34卦であり、上経と下経の卦の数は一致していないの
ですが、上下に並べると線対称になる2卦を1卦と数えるならば、実は18卦で同数になっています。
つまり、上経には、上下に並べると線対称になる卦が12組あり、内卦と外卦が線対称になって
いる(=線対称になる相手がそれ自身)卦が6つあります。一方、下経には、上下に並べると線対称に
なる卦が16組あり、内卦と外卦が線対称になっている卦は2つだけです。
上下に並べると線対称になる卦を1組とすることで同数であるとすることより、なぜ、内卦と外卦が
線対称になっている卦を上経に6つ、下経に2つと、異なる数にしたのかのほうが気になります。
さらに、内卦と外卦が線対称になっている卦(8つ)のなかでも、卦を構成する内卦のみにおいても
(外卦のみにおいても)線対称になる卦(乾為天、坤為地、坎為水、離為火の4つ)は、
すべて上経に含まれています。例をあげると、上の図(右)に示しました坎為水(29)です。
内卦と外卦が線対称の関係になっているうえに、内卦のみにおいても(外卦のみにおいても)
上下の線対称になっています。ちなみに、「坎為水」は四大難卦のひとつで、
「もっとも困難・重病を覚悟しなければならない卦」です。

少なくともいえることは、上経と下経は対称になっていないことです。
卦は同じ数の陰と陽で構成されているのですから、六十四卦を上経と下経に対称的に
分けることは可能です。どう考えても意図的に上経と下経を非対称にしたのです。
真意は分かりませんが、宇宙が陰陽から生み出されていても、
わたしたちが存在する空間は非対称な世界である
ということを示しているのではないでしょうか?

さて、卦により想定されるウィークボソン、ヒッグス粒子においては様々な対称性が存在します。
Wボソン、Wボソン、Zボソンにはそれぞれ、8つのパターンが考えられます。
下の図には、Wボソンの8パターンを示しています。(Hはヒッグス粒子)
この8パターンがすべて同じ数だけ存在すれば対称性があるということになりますが、
右巻きWボソンが存在するという話は聞きません。Wボゾンは、フェルミオンの左巻きのスピンを
持っている部分(あるいは反フェルミオンの右巻きのスピンの部分)にしか反応しません。
もし右巻きWボソンが存在するとすれば、非常に質量の大きな(=不安定な)粒子なのでしょう。
卦により想定されるウィークボソンには、粒子の配置:内側↔外側、
内側の回転:右↔左、外側の回転:右↔左という3つの対称性があり得ますが、
3つの対称性はすべて失われているものと思われます。
その原因となるのがヒッグス粒子でしょう。ヒッグス粒子にはスピンがないのに、
卦により想定されるヒッグス粒子には2パターンが存在します(下の図に記載しています)。
しかしながら、実際の宇宙には、この2パターンのどちらかしか存在しないのではないでしょうか?
陰陽はどこまでいっても対称的なのに、
現在の現実の空間は非対称な世界なのです。

特に、真空の対称性は大きく損なわれていることが予想されます。

ただし、陰陽による対称世界が失われたということではありません!
わたしたちのいる世界が、たまたま「陰」であれば周辺環境は陰だらけですし、
たまたま「陽」であれば周辺環境は陽だらけになります。
人間には、すべてのものを把握する能力が与えられてはいないことを忘れてはなりません。


WZH対称性



2014_11_18


断易奥義 トップページ > 基礎入門1 > 卦(か)
卦(か)
下記の図にある ─ と -- の棒を爻(こう)と呼び、陰と陽を表している。
また、6つが重なって構成されているものを大成卦(たいせいか)と呼び、
それぞれにある①②③を内卦(ないか)、④⑤⑥を外卦(がいか)と呼ぶ。
さらに、①=初爻 ②=二爻 ③=三爻 ④=四爻 ⑤=五爻 ⑥=上爻と呼ぶ。
周易という占いでは、爻辞(こうじ)卦辞(かじ)と言って、それぞれの爻や卦のひとつひとつ
に意味がつけられているのだが、断易では、ほとんど用いることはない。(図は省略)
八卦(はっか、はっけ)
八卦とは、自然界の現象を八つの象に分類したもので、爻を三つ組み合わせた三爻
で構成されている。以下の図が八卦である。
断易では、それぞれの八卦を2つ組み合わせた64卦(ろくじゅうしか)を見て占う。
八卦×八通りの組み合わせ=64パターンに分けられることから64卦と呼ぶ。(図は省略)
八純卦(はちじゅんか)
断易では、八純卦(はちじゅんか)というものが基本となる。
その八純卦を首卦(くびか)とも呼ぶ。下記の図は8種類の首卦である。
内卦①②③と外卦④⑤⑥の爻が、全く一緒になっているのが首卦の特徴でもあり、
同じ八卦が2つ組み合わさったものとも言える。
その1つのまとまりを宮(きゅう)と呼び、全体で八宮が存在する。
赤字で表示された「父、金、母、土、・・・」は、それぞれの宮が持つ属性である。

八純卦

易には断易という占いかたがありますが、その基本として八純卦というものがあります。
八純卦は同じ八卦が2つ組み合わさったものであり、断易ではこれを基本としています。
他の卦は、八純卦の一部の爻を変えたもの(変えかたにより、一世卦、二世卦、三世卦、
四世卦、五世卦、遊魂卦、帰魂卦に分類される)として占います。
どうして、内卦と外卦に同じ八卦を置いたものを基本としているのでしょう。そもそも、
卦は宇宙の万物創世の様子を示したものであり、単なる占いのアイテムではありません。
前記事で、卦は内側と外側に分かれている様子を示していると説明しましたが、
卦を代表する素粒子はヒッグス粒子です。
そして、ヒッグス粒子が何でできているかは、八純卦に示されています。
前記事の引用にありますように、易経は、占いにより何かを知るというよりも、
人生で起こるあらゆる問題の解決法を示しているという側面があります。
そして、その解決法は、宇宙の生成を体系化することで示されているのです。
宇宙と人生がどのようにつながっているかと言いますと、
宇宙のなかを進むうえで障害になるもの=
人生を歩んでいくうえで障害になるもの
です。
そのなかで、宇宙において最も象徴的存在がヒッグス粒子なのです
(勿論、昔の賢者は、それをヒッグス粒子として認識してはいないでしょうが)。
そして、易のなかでヒッグス粒子を表現しているのが、八純卦です。
八純卦では、内側と外側に同じものをおいて、そのなかにすべての状態を含んでいます。
八卦が示すすべての状態を含有しているのは、「速度を落とした光子」であり、
卦の構造である内側と外側に、光子が閉じ込められているものと考えられます。
光子は光速で直進するものとされていますが、内卦と外卦という構造は光子を安定的に
閉じ込めることができるようです。空間が閉じられているという考えかたも可能で、内卦と
外卦という構造内では、単独で存在する光子とは全く異なる状態になっているのでしょう。
卦内では光子の存在が不明確になり、光子は回転せず、内卦と外卦が回転します。
ヒッグス粒子では内卦と外卦は逆回転しており、全体で見れば回転していません。
特別なことがない限り、卦の構造に2つの光子が入っている状態は安定的であり、
卦が崩壊したり、卦のなかに他の素粒子が侵入することはありません。
光子と同様に安定的に存在していますが、光子と異なり速度0となって空間に留まり、
全体として場をつくりだします。光子は卦による場を全く抵抗なくすり抜けることが
できますが、八卦で示されるクォークやレプトンはある程度の抵抗を受けます。
高エネルギーを与えるなど何らかの方法を行えば、卦の構造を壊すことができ、
ヒッグス粒子は2つの光子になるものと考えられます。そのとき、
2つの光子が対消滅してしまえば、何らかの粒子と反粒子が生成するでしょう。また、
卦の構造が壊れなかった場合、卦の構造を持つウィークボソンへの崩壊が考えられます。

もう一度、宇宙生成の流れを考えると、易ではこうなります。
太極 →両儀 →四象 →八卦 →八純卦   →六十四卦(八純卦以外の卦)は、
 ? → ? →光子 →粒子★→ヒッグス粒子→その他の粒子、となります
(粒子★は、第一世代のクォークやレプトンです)。
つまり、第一世代のクォークやレプトンが質量なく光速でとんでいたときがあった
ということになります。卦という構造が生まれ光子からヒッグス粒子ができたことで、
クォークやレプトンなどは急速に速度を落としたということになるのでしょう。
余分な話になりますが、四象である光子は、「火+水」と「木+地」に分かれて
回転しているのですが、完全に分離しているわけではないので、
「火+水」と「地+風」は同じ方向に回っています(つまり、2回転)。一方、
八卦(第一世代のクォークやレプトン)は一枚の板のようなものなので、1回転です。
八純卦(ヒッグス粒子)では、内卦と外卦が逆回転になるという決まりがありそうです。
内卦と外卦の回転には、それぞれ右、左回転もしくは左、右回転の2パターンありますが、
どちらの場合でも、八純卦全体で見ると回転していないことになります。

現代人は賢いとわたしたちは思っていますが、
本当にそうでしょうか?現代に伝わっていない部分を含めれば、
「易の示す宇宙」は現代物理を越えているのかもしれません。


八純卦とヒッグス粒子


2014_11_16


第一章 易経とは人生の変化を教える書
(超訳・易経 角川SSC新書 自分らしく生きるためのヒント 竹村 亞希子)
六十四の卦(か)に記された人生
(前略)私がこれからお話ししていく易経とは、人生で起こるあらゆる問題の解決法(これを易経では
「中(ちゅう)する」といいます)が、あの手この手を使って書いてある書物のことで、
占って得た卦だけを読むというものではありません。
誤解を恐れず言うならば、易経は「陰」と「陽」で「中する」ということを伝えるために書かれた書物で、
この重要な三点について、六十四種類の卦と三百八十四の小話を使って、
手を変え品を変え私たちに伝えようとしているものなのです。
人間には、苦しみ、悲しみ、勢いがある、どうにもならない閉塞、楽しみ、安らぎなど、
いろいろな時がめぐってきます。一口に苦しみといっても、金銭問題で苦しい、人間関係で苦しい、
望みがかなわず苦しいなど、さまざまな苦しみがあるでしょう。
易経ではそういったさまざまな状況を一つの「時」=卦(か)として、六十四の物語にして書いてあります。
それぞれの卦(か)にはさらに六つの小話があり、全部読むと起承転結の物語のようになっています。
どの卦(か)に書いてあることも、自分に関係のない話は一つもありません。
誰もが経験したことのある、あるいはこれから経験するであろうことばかりです。
ですから、どこの卦から読んでも必ず、あなたやあなたの周りに起こっている問題や状況に
合致する話が書いてあり、そして、「なにをすればうまくいく」「なにをすればうまくいかない」という
具体的な対処法(「中(ちゅう)する」こと)、つまり人生のなかの出処進退の方法が書かれています。
これを読み取っていくことで、自分らしく生きるためのヒントを見つけてほしいのです。(中略)
易経は、「実践哲学の書」ともいわれているように、運命を打開するための哲学が書かれています
から、書かれている対処法を実際にやってみることに意義があります。
まさに、「禍(わざわい)転じて福となす」となるための対処の智慧(ちえ)が満載の書なのです。

超訳・易経 自分らしく生きるためのヒント 角川SSC新書超訳・易経 自分らしく生きるためのヒント 角川SSC新書
(2012/10/12)
竹村 亞希子

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卦の構成

陰陽論では、陽が極まれば陰となり、陰が極まれば陽となると諭しているのですが、
人生がうまくいっているときには、何をしてもいつまでも、成功し続けるように思うものです。
程度の差こそあれ、うまくいっている人は内心、「俺はすごいんだ」と思ってしまうものですが、
それを周囲の人に公言したり態度で示したりすると、いざというとき誰も助けてくれなくなります。
逆に、何をやってもうまくいかないときは、永遠にうまくいくときは来ないように感じられます。
とにかく、やる気が起きません。やることすべてが無意味であるように思えます。しかし、
このときの過ごしかたが大切なんだと、左遷を経験した社長が語るというのは、よくある話です。
陰陽論では陰と陽は同じ大きさなので、わたしたちは同じ長さの期間、陰と陽を体験しても
良さそうなものですが、そう思っていると、長い「陰」の期間が耐えられなくなるかもしれません。
なぜなら、わたしたちは、楽しいときは短く感じ、つらいときは長く感じるものだからです。
また、「このつらいときが過ぎれば、明るい未来が来るんだ」と思って我慢ばかりしていても、
明るい未来は永遠にやってこないかもしれません。そうではなく、
「陰」のなかに喜びや楽しみを見つけることが大切なのです。
病気になって見える風景は、ばりばり働いているビジネスマンが見る風景と同じではありません。
スピードを落として見えるものに気づかなければ、いつまでも「陰」のなかでもがき続ける可能性も
あります。車が脱輪したときには、脱出する際にエンジンの回転数を上げてはいけないのです。

さて、当たるも八卦、当たらぬも八卦ということで書いた「万物創世に関する八卦の陰陽論」
(前々記事)ですが・・・『「四象」はさらに陰陽に分割されて、「八卦」になるのです。
この陰陽分割は、宇宙の生成においては「内と外」の分割であると考えられます。』
という部分については、ちょっと違うような気がしてきました。

八卦を考える前にスタートに戻って考えてみると、万物の根源である「太極」の本質は「無極」
(何もない)であり、この「太極」から「陰陽」が生まれることで、宇宙がはじまります。
般若心経のような言い方になりますが、はじめに「無極」があったのです。
その「無極」はこれすなわち「太極」であり、その「太極」には「意図的な」動きが生まれ、
陰と陽に分離した「両儀」という状態になります。「太極」の動きは両儀のままでは留まらず、
さらに、陰から陽が生まれ、陽から陰が生まれることで、「四象」という状態が生まれます。
「四象」は安定であり、これは物理的には光子であり、これが「光の世界」を生み出します。
一瞬にして、一つであった「四象」は爆発的に数を増やし、最小単位(本当の最小単位は「四象」を
構成するメッシュ)の「四象」で満たされる1cm程度の大きさがある火の球になります。
このあたりが、インフレーションとかビッグバンと呼ばれるあたりです。
この火の玉は急激に膨張するとともにエネルギー密度が低下し、「四象」の「(±)木」と「地」の部分に
おいて陰陽の高速変換ができなくなり、陰と陽のどちらかに固定化されてしまうものが生まれます。
このとき、「(±)木」は横分割され、「地」は縦分割されます(「四象」というピラミッドの中心を
周辺から眺めた場合における縦と横)。というより、横分割、縦分割されるものを、
それぞれ「(±)木」、「地」と呼びます。「(±)木」、「地」の陰陽は固定化されて、
それぞれ、「木」または「風」、「金」または「土」になります。
ただし、「(±)木」のほうは「木」または「風」のどちらか一方の状態に変化するのですが、
「地」のほうは陰陽が固定化されることで、「金」と「土」という分離可能な二つの状態になります。
ですから、四象は五行という考えに発展したのです。
また、「金」と「土」は位置を反対にすることができるので、「地」には4つの状態が生まれます。
記事29-3の九星を見ていただくと分かりますが、9つのなかに、「火」「水」は一つしかないのに、
「木」「金」は二つ、「土」は三つ(中央の「土」を除けば「土」も二つ)あります。
九星では、なぜ、「火」「水」は一つしかないのに、「木」「金」は二つで、「土」は三つあるのか?
これは、九星が八卦をもとにしてつくられたからではないでしょうか?
物理的な観点ですと、光の波動性を示す「(±)木」と「地」が陰と陽のどちらかに固定化される
ことにより、八卦の状態を生み出します。四象は四つの要素がつながっていますが、
八卦の要素は、一つ一つがバラバラに分離可能です。
ただし、「金」と「土」における二つの状態は、他の要素と結びついていなければ同一物になります。
実際、八卦の一つ一つの要素はバラバラになって存在しています。それらは物理的な意味を
持っていますが、ニュートリノよりさらに小さいものなので、物理的に検出不能です。
実は、宇宙の真空は八卦の一つ一つが大量に存在している状態であり、それが真空エネルギーに
なっています。八卦が3つか4つ集まっているものが、クォークや電子、ニュートリノなどの素粒子です。

宇宙の生成において、「内と外」の分割が生まれるのは、八卦の後です。八卦は3つの爻(こう)で示され
ますが、これを二つ重ねて一つの「卦」(か)を呼ばれるものをつくり、これが易占いに用いられます。
2つの八卦のうち、下にある八卦を内卦、上にある八卦を外卦といいます。
内卦は必ず下にあり、外卦は必ず上にあるのですから、それぞれ、下卦、上卦と呼ばれるほうが普通だと
思いますが、これにわざわざ、内、外という概念を持ち出しているのには理由があります。
卦において、陰陽が「内と外」へ分離することを意味しています。
また、卦は8×8の64種類あるのですが、これも内卦、外卦の重要な特徴を示しています。
つまり、単なる上下ならばひっくり返して同じものは区別できず、同一物とみなすことができるはずですが、
「内と外」ならば、上下をひっくり返しても、元のものと区別できるということになります。
卦が物理的にどのような意味を持つかは、次の記事で考えます。


卦


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書籍の紹介

龍女「みなみ」からあなたへの
不思議なメッセージ集
新感覚のファンタジー!!

書籍表紙

不思議の国の「みなみ」
 宇宙へつながる秘密基地

「みなみ」 今月のメッセージ

不思議の国では、
時間は動かないんです。

プロフィール

舞尾 空

Author:舞尾 空
・性別:男
・年齢:46歳
・職業:サラリーマン
・血液型:O型

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